6年前の今日入院 6年間で生き方が激変した私

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6年前の今日入院 6年間で生き方が激変した私

6年間ほんとうにあっという間でした。

乳がんが発覚して、左乳房の全摘が決まり、平鹿病院へ入院したのが2018年の3月13日でした。

乳がんの闘病記については、こちらにまとめてあります。

この間、本当に私の考え方は180度変わりました。

それまでは、自分のことで精一杯。まわりの自然のことや、社会のことや、政治のことや、日本の未来について、まったく考えていませんでした。

その日の画像。

息子に病院まで送ってもらう時の画像です。今より、ずいぶん若い ((´∀`))ケラケラ この年は雪が多い年でした。

 

この入院と、その後の抗がん剤とホルモン剤の治療により、私の体はボロボロになってしまいました。体の調節機能というか、なにかよくわからないけど、破壊されてしまった。いまだに時々、具合が悪くなります。

このがんの治療方法や、医療や、製薬会社に、深い疑念をいだきました。先生は一生けんめいやってくれるのだけど、決まった治療法しかしてくれない。

他の治療法をしようとすると、先生は「がん指定医」を剥奪されます。つまり、お上の言うような治療法しかできないのです。自分の好きな治療法をするためには、先生は病院をやめ、がん指定医をとりけし、自費で治療をうける患者さんしか治療できなくなる。

これができる先生は、ほんのひとにぎりです。やりたくても、家族の生活がある先生はできないのです。

以前にも、この件についてこのブログに書いてあります。

この経験から、医療、政治について、疑いをもつようになりました。その後のコロナのパンデミックで、この世の深い闇について気がついてしまったのです。

このままでは、日本が危ない。平和な日本を子孫に引き継ぐことはできなくなる。そんな危機感を満ちました。

もしかしたら、6年前に死んでいたかもしれない私です。だけど、こうして6年たった今も生かされている。これには何か意味があるのでしょう。残った命を、世のため人のために使いなさい、ということなのだと思います。私は与えられたこの命を、日本の未来の子どもたちのために使おうと決めました。

世界一、長い歴史のある国が日本。

四季があり、自然豊かで、清らかな水が流れている日本。一度も「日本」という名前をかえることなく、自立してきた国。

この国を守るために、多くの祖先が命がけで戦った。日々、精いっぱい働いてきた。それなのに、今の私たちは、平和ボケし、日本が危機的な状態だということさえ気がついていない。まずは、この現状をみんなに知ってもらわなければなりません。

もう若くない。日々老化して体力はなくなり、気力も薄れ、能力も低下している。だけど、動ける間は、少しでも日本の未来のためにがんばるつもりです。

平和な日本を、孫やひ孫やその先の日本の子どもたちに引き継ぎます!

 

★ 自給自足を目指して養鶏を始めました。 雪にも耐えられる鶏小屋を自力で建てました。鳥骨鶏やひよこの様子をyoutubeにアップしていますので、見てね。
秋田弁チャンネル

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