はじめましての方も、以前のブログやFBやツイッターからお越しいただいた方も、こんにちわ。小須田逸子(こすだいつこ)と申します。
現在は、高齢の母のため実家の秋田県大仙市にほとんど住んでいます。ほとんどというのは、主人は東京で仕事をしており、自宅は千葉県にあるため時々そちらに帰ります。
実家の森川農園の手伝いもしています。アスパラガスの他にダリア、ブルーベリー、野菜、米を作っています。アスパラガスとダリアなど全国に通販しています。
JUGEMやFC2やアメブロなどいろいろなブログを10年以上書き、このワードプレスのブログを2017年8月より始めました。以前は主に、編み物の教室のお知らせや、トレマーガという手芸店の宣伝のためにアメブロでブログ書いておりました。 今もそのブログはあります。
1957年12月16日 ( 射手座、七赤金星 ) 秋田県大仙市生まれ
元ニットデザイナー
先天性股関節脱臼 両側脱臼性股関節症
1才すぎ、先天性股関節脱臼で両足の股関節が外れているのが見つかりました。 その後の1年は石膏のギブスをはめていたそうです。母は赤ん坊の私をおんぶして大曲駅まで自転車をこぎ、1時間以上も電車に乗り、秋田市の現秋田大学医学部付属病院まで毎日のように通ったそうです。赤ん坊だった私にはまったく記憶がありません。
子どものころはなんとか体育の授業なども参加していましたが、20才を過ぎるあたりから両足の痛みがひどく、痛み止めを手放せなくなりました。35才で右足、42才で左足を自骨で補強の手術。でも、悪化は止まらず50才の少し前からは、杖が手放せなくなりました。痛みもますますひどくなり、2010年4月に52才で両足を人工股関節にしました。
執刀していただいたのは、船橋整形外科業院の老沼先生です。良い先生とスタッフに恵まれて本当によかったです。お陰様で今では痛みもなく、ほとんど普通に歩け、世界中どこへでも行けるようになりました。ありがたいことです。
子ども時代から結婚まで
実家はそのころ米農家。両親、妹、祖母、叔父、叔母2人と、最大8人家族でした。叔父、叔母たちは、ほどなく就職したり結婚したりで、両親、妹、祖母との5人暮らしが長いです。
お金がない実家ではありましたが、おいしいお米や野菜を食べ、自然の中でのびのびと育ちました。とても良い子で、中学までは成績優秀でした。高校は、地元では一番の進学校である高校。ここではまわりが超優秀すぎて、落ちこぼれの生徒でした。大学は教育学部。仕送りが少ないのでバイトばかりしていました。
田舎コンプレックスで、都会に出たいとの思いがあり、都会の教員採用試験を受けて合格。2年間、政令指定都市の小学校で教諭をしました。 しかし、田舎から出てきた新米の女の先生には過酷な環境で、体調を崩してしまいます。今で言う「うつ病」だと思います。当時はそんな病名ではなかった気がしますが、記憶があいまいです。
ちょうど2年勤めた3月末、結婚することが決まっていました。たまたま主人が広島に転勤することになり、体調が悪かった私はそれを口実に退職することにしました。
子育てから手芸店開業まで
その後二人の男の子に恵まれ、広島から戻りました。のちに千葉県に1戸建てを購入しました。そこに今も住んでいます。
現在、長男39才。2016年には第1子の男の子 (私にとっての初孫)が生まれました。2020年3月には二人目の男の子が生まれました。仕事はテニスコーチ。
次男は37才。2017年1月に結婚しました。2019年3月に男の子が生まれました。実は脱サラして実家の農園を運営しています。
長男は20才で、次男は高校を卒業後、自宅を出てアパート暮しを始めました。次男はあと4年間、自宅から大学に通わせる予定でしたが、通える範囲の大学はことごとく落ち、急遽家を出ることになりました。この時は2週間、空き巣症候群に陥りました。 とにかく悲しくて寂しくて、なにも手につきませんでした。
しかし何事も立ち直りが速い私。「これで私は自由になった!」とうれしくなりました。そしてもう大きな挑戦をするのは、子育ても終わり両親が元気な今しかない!! と思い至ったのです。射手座の私、何も考えずに突き進み、思いたってから3か月で東京に手芸店を開いたのです。
東京での手芸店&編み物教室10年
この手芸店は、東京で2006年から10年間つづけました。この10年は、他には経験できない楽しいことや、到底普通の主婦では味わえなかったであろう苦労もありました。
2014年2月、父が亡くなり、高齢になった母は買い物にも困るようになりました。食事の支度なども苦痛になったようです。ずいぶん考えた末、2016年夏、私が秋田の実家へ移住することにしました。
秋田の実家への移住、そしてこれからのこと
現在は秋田の実家に住んで、時々千葉の自宅へ帰る生活です。秋田市と大仙市で、編物サロンを月に1回ずつ運営しています。こちらも悩んだすえ、仕事としてではなく趣味のサロンにしました。2017年の3月末の神戸での展示会を最後にニットの仕事は引退しました。2019年6月、乳がん治療のホルモン剤の副作用のため、このサロンも閉めました。
2017年9月、4年間かかわってきた本が出版されました。これでニットデザイナーとしての残務の完了。晴れて自由の身になりました。
田舎の良さも発信したい。一度秋田を出て、外から冷静に見ることができるようになり、いいところがたくさん見えてきました。ずっと秋田に住んでいる人には気がつかないこと、良いことばかりです。都市と田舎の交流のために何かできないか? 東京と秋田をしょっちゅう行き来している私だからこそできることはないか思案中です。
今までの私の人生の経験や失敗などを見て、誰かが元気になってくれればうれしいです。
私の性格・趣味など
射手座の性格そのままに、思いついたらすぐにやる。冒険好き。でも飽きやすい!! すぐに行動を起こすところが、失敗するところでもあり、成功するところでもあります。これからは年齢も考えて、もっと論理的に冷静に考えて行動したいと反省中です。
意外と一人でも平気で、つるんで買い物にいったり、旅行に行ったりするのは苦手。基本的に一人で黙々と調べものなどをしていることが好きです。新しいこと調べるのは、わくわくするほど楽しいです。
ニットデザイン、編み物は、今後は趣味として続けていきます。
乳がん発症
2018年1月、乳がんが発覚。闘病することになりました。その闘病の記録も書いていきます。同じ病気で悩んでいる方の参考になればと思います。
I love Dimash Kudaibergen
2019年1月、カザフスタンの歌手、ディマシュ クダイベルゲンのYOUTUBEを見て、一目で(一聞きで)心を奪われました。以来、彼のファンをやっています。
「dimash kudaigergen ディマシュ クダイベルゲン 寝てもさめても」というブログも書いています。
2019年6月には、英語も話せないのに、ディマシュのソロコンサートを見るために、たった一人でカザフスタンへ行ってきました。
2020年3月、チェコのプラハにディマシュのコンサートを見に行く予定でした。ところが新形コロナウイルスのため、コンサートへは行けなくなってしまいました。
2021年に延期、さらに2022年4月に再延期になりました。これは結局は行かず、2022年3月のドバイのコンサートに行きました。人生なにがおこるかわかりませんね。だからこそ楽しいです!
またコンサートへ行きたいのですが、高齢の母がまったく食事の準備をしなくなってしまいました。もう長期間、留守にするのはむずかしくなりました。
コロナウイルスをきっかけに世界情勢に目覚める
2020年、新型コロナウイルスを経験し、世界情勢に目覚めました。
今まで平和な日本で、のほほんと暮らしてきたことを反省。平和ボケしていた自分から変わりました。
世界情勢に気を付けていきます。
2022年、参政党の神谷宗幣氏の演説を聞いて、共感しました。以来、参政党を応援しています。
孫やひ孫に、平和な日本を残すため、活動していきます。
サイトの運営方針
自分の人生の経験や、失敗談などを書き綴っています。このブログを書くことで、誰かのためになってくれればうれしいです。またこのブログを通して、なにか新しい出会につながれば幸せです。人生を前向きに楽しく生きていくために、私の視点からお届けします。私しか書けないことをわかりやすく書いていければと思います。多くの人のお役に立てるサイトに育てていきたいです。「人生いろいろ 咲き乱れ」をどうぞよろしくお願いいたします。最後までプロフィールをご覧いただきまして誠にありがとうございました。