今まで知らなかった地元の魅力 秋田県横手市 増田の内蔵

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今まで知らなかった地元の魅力 秋田県横手市 増田の内蔵

先日、息子のお嫁さんのお母さんと2人で出かけました。

共通の孫を持つ baba’s です。

出かけた先は、秋田県横手市増田。わが大仙市からは車で1時間以上かかります。

話にはいつも出てくるのですが、実際に見に行ったのは初めてでした。

まずは、増田の概要。

横手市増田町は葉タバコや繭が県内で最大の産地でした。それが理由で、江戸末期から明治初期に多くの商人が移り住みました。その財力を生かし、主屋の奥に土蔵を建て生活をしていました。秋田県横手市は「かまくら」で有名なように、国内でも屈指の豪雪地帯。雪から蔵を守るため家の中に蔵を建てました。この蔵は「内蔵(うちぐら)」と呼ばれており、現在も人々が住んでいます。

現在もこの地区に45件ほど内蔵が残っているそうです。昔は100件くらあったのではないかと言われています。

増田町の観光拠点は、目抜き通りとなる「中七日町通り」。ここに内蔵群が連なりますが、そのちょうど真ん中あたりに増田観光物産センター「蔵の駅」があります。散策マップのほか、公開している蔵の情報、見どころなどが書いたパンフレットなど無料で配布しています。

また、この「蔵の駅」自体も実は内蔵群の一つ。増田で小売業を営んでいた石田家から横手市に寄贈されたものを無料公開しています。

入り口に観光案内所があり、奥に座敷が二つ、水屋跡、そして内蔵と続き、この細長い間取りを行き交う「通り」もあります。増田町の内蔵群の典型的な間取り構成です。

ひとつの通りから次の通りまでの100mくらいが、1件のスペースで、この内蔵が入っている建物があり、中庭があり、その奥にまた倉庫とか建物があるお宅が多いそうです。

ここは無料ですが蔵の中は見事! 特に2階部分は、明治・大正時代の道具箱などが置いてあり、当時を垣間見られます。

これは箱そり。

雪がふると、これに乳母車代わりに子どもをのせたり、荷物を運んだりしました。

昭和の30年代までは使っていました。私も小さいころ、これにのせてもらった記憶があります。

家の中に井戸を掘ってありました。

雪が深い地域なので、冬のためにこうしたのだと思います。

これは背中に荷物を背負う時に、あてがったもの。

戦前はすべて人力だったのですね。

家の中の通路。

京都の町屋に似ている気がします。

これが長い!

ず~っと奥まで何十メートルもある!

そして家の中に蔵が Σ(・□・;)

増田の蔵の特徴は、家の中にあるということと、その中でも生活が営まれているということ。

宝物や荷物をしまっておくだけのものではありませんでした。

ここはお座敷として使われていました。

2階。

昔のタンスが道具が整然と置かれていました。

桐のたんす。

高価な着物が収納されていたのでしょうね。

その当時からしたら信じられない裕福さです。

他に何件か無料の所を見学させていただきました。

一番に感心したのが、山吉肥料店でした。

ここは有料なのですが、女将さんが内蔵やおうちについて説明してくださいます。

ここ、山吉肥料店は200円と有料でしたが、女将さんの説明が素晴らしく2000円の価値がありました♬

入口を入れば、まずお店。

その次は、神様とご仏壇が祭ってあるお部屋。

次の座敷には、びょうぶが飾つてありました。この奥は当主の寝室にあてているそうです。

タンスの上には土人形。

その次の座敷には、女将さんが嫁いできた時の婚礼の様子がわかる展示が Σ(・□・;)

金細工のかんざしがありました。

これは秋田市の竹谷貴金属店に特注したものだとか!

銀細工ではなく、金細工ですよ Σ(・□・;)

どれだけお金がかかったんでしょう???

右の菊の振袖を、お嫁に来るときに着てきたそうです。

披露宴でつかわれていたお皿。

大きなおさらには鯛が、四角のお皿にはカズノコが盛られていたのを覚えているそう。

左の赤い振袖は、今の女将さんのお姑さんの婚礼のときのものだとか。

冠婚葬祭もすべてこの家でおこなったとのこと!

なんと優雅な!

この家で一番に財力を蓄えるために貢献したのが、この繭だそうです。

この増田周辺は繭の一大産地だったそうです。

美しく輝く絹。

今でもうっとりするツヤで光っています。

こちらが「みんじゃ」と呼ばれた水屋。

今も現役。

本当は改造したいのだけど、市から「もうあまり残っていないから保存をお願いします。」と言われているのだとか。

井戸も残っていました。

こちらが土間の通路。

入口から通り抜けられます。

上に歩いて掃除ができるように木の廊下がかけられています。

左側が蔵の外側。

美しい装飾がほどこされています。

窓も4重の扉で、今でも隙間がなくピタッと閉まるそうです。

こちらが蔵の入り口。

今でも生活に使われているそうです。

ご当主は、この蔵で生まれたそうです。

この壁が黒いのは、白い漆喰の上に、スミが入った特殊な漆喰を塗り重ねたものだそうです。

もうこれができる職人さんはおらず、このような蔵はもう二度とできないだそうです。

蔵の土台の石は鳥海山から運んできたものだそう。

クレーン車もない当時、どうやってはこんだのでしょう?

土台の石が少し空いています。ここには味噌がしまってあります。

もし火災が起きた時、蔵の扉を閉め、煙が入らないように隙間に味噌を塗るのだそうです。

土間の通路を出た所。

ここに中庭があります。

りっぱな日本庭園でした。

画像をとるのを忘れました。

この先には商売物の肥料をしまっておく建物と、お客様が来た時に泊まる建物がありました。

中庭の横には水路が流れており、昔はここで洗濯や洗い物をしたそうです。

こちらが裏門。

正面のお店の入り口からこの裏門まで100m。

当時の盛隆がしのばれます。

女将さんの説明が本当に素晴らしく、今まで知らなかったことがたくさん学べました。

また、この増田から岩手県の平泉に通じる街道があり、その道を通じて歴史のロマンがあるようです。

前九年の役、後三年の役、そして奥州藤原に通じる歴史があるそうで、今後勉強したいと思います。

地元だからいつでも行けると思って見学に来なかったけど、もっと地元に注目して大事にすべきと思った一日でした。

 

 

 

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