お寺もコロナ禍の影響 報恩講に行ってきた

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お寺もコロナ禍の影響 報恩講に行ってきた

わが実家は浄土真宗です。

私は妹とふたり姉妹で、二人とも嫁いでしまったので「森川」の名前は途切れてしまいました。

私の次男が脱サラして農家をついで「森川農園」という形で名前を残しましたが。

母が亡くなると、名前をどうするかとか、いろいろと問題が起こってきます。

そもそもお寺の檀家も減り、お寺自体がやっていけるのだろうか?

今日きていた人たちも、80代、90代で、この方たちが亡くなったらもう消滅してしまうのではないか?

菩提寺は安養寺というお寺です。

3年前までは母がお寺の行事に行っていましたが、おととし「もう私は行けないから、かわっていって来なさい。」 といわれ行くようになりました。

といっても、行くのは年に2回で、春と11月28日。

その11月28日は「報恩講」という日で、一番大事な仏事だそうです。

私はまったく今まで菩提寺のことも仏教のことも興味がなかったのだけど、いろいろ気にしなければ行けない年齢になってしまいました。

 

報恩講とは、親鸞聖人の祥月命日の前後につとめる法要のことです。

浄土真宗の門徒(信仰者)が1年間で最も大切にする仏事です。
京都の東本願寺(真宗本廟)では毎年11月21日から28日まで勤められますし、全国の真宗大谷派の別院や寺院でも年に一度、日時を定めて勤められています。

“報恩講とは何か”を訪ねるキーワードに「11月28日」があります。
この日は宗祖親鸞聖人の祥月命日にあたります。親鸞聖人が亡くなられた日に仏法を聴く集いを開いて、自らの信仰を確かめ学び直そうという人たちが集まりました。この集いを「講」といいます。その源を訪ねれば、親鸞聖人自身が、師・法然上人のご命日に人々と寄り合い、仏法を聴き、お勤めをし、語り合っておられたことにあるといえます。

第2のキーワードは「報恩」です。恩に報いる、恩を報らせるとも読みましょう。私たちが生きていくうえには親の恩や師の恩など、いろいろなご恩があります。それぞれ大切なことですが、報恩講の恩は、私たちを救ってくださる仏さま(如来大悲)、そして私たちに先だって生きていかれた方々の勧めによって念仏の教えに遇い、一人ひとりが生きる依り処を教えていただいたご恩のことです。
そのご恩に報い、先達の後に続いて、いつのどこの誰にでもかけられた仏さまからの「本当の願い」を共に聞いてまいりましょうという願いが、報恩講という仏事には託されているのです。

 


そして、なぜ東本願寺と西本願寺にわかれてしまったのか!

なんと戦国時代まで話はさかのぼるのです。

本願寺が東と西に分かれているのはどうしてか。
 
それは、戦国時代の石山戦争にまで歴史はさかのぼります。石山戦争とは、織田信長と石山本願寺との戦いです。

織田信長は、石山本願寺との戦争を10年以上続けましたが、石山本願寺を降伏させることはできませんでした。
 
このまま天下統一を足止めされることを好まなかった信長は、正親町天皇(おかちまちてんのう)を仲裁にたてて和睦を求めてきました。
 
その時和睦するか抗戦するかで、石山本願寺内の議論が2つに分かれました。
 
これが本願寺が東と西に分かれるきっかけとなります。

へぇ、そうだったんだ!!

 

 

 

今日はすこしかしこくなった。

コロナのパンデミックは葬式にも影を落としていて、家族葬が増えていて、会食なしが多いのだそう。

人と人との結びつきが減ってしまったとお坊さんが嘆いていました。

こんなところにも影響がでているのですね。

とにかくこのコロナ騒動、全ての経済活動を弱め、人々を分断している。

自分たちでこれを終らせないと、あの人々の思うつぼだ。


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