足るを知る

ムカヒ大統領の演説を聞いた2012年当時、まだ私は金銭的成功を夢見ていた。

自分でビジネスをおこし、成功した女性というのにあこがれていた。

まわりにちやほやされたい症候群だった。

あれからいろいろな事が起きた。

私の仕事は限界を迎えていた。

そんな時、父を亡くした。

田舎で一人になった母は、自力で買い物も病院も行けなくなり、私は実家へ帰ることに。主人は単身東京に残った。

その後、自分もがんになり、抗がん剤とホルモン剤の副作用で苦しむことになった。その経験から、医療と製薬会社の闇に気がついた。

コロナのパンデミックがおきた。

アメリカ大統領選挙で不正が行われた。

これで、世界の仕組みがわかってしまった。

このグローバリズムに NO! をつきつけているのは参政党だけだった。

参政党の活動をするうち、食べ物がどれほど汚染されているか気がついた。

そして自然農に挑戦することになった。

もう、ほしいものはそんなにない。安全な食べ物と、きれいな水と空気。雨風が防げる家。寒さをしのぐ暖房。

流行の服もブランドのバッグもいらない。宝石もいらない。高級車もいらない。軽トラの方がよっぽど役にたつよ(* ´艸`)クスクス

今ならムカヒ大統領の気持ちがわかる。

世界の消費経済に一矢報いるムカヒ大統領

2012年の6月にブラジルで行われた リオ+20(国連持続可能な開発会議)で各国のリーダーによるスピーチが行われ、その中でウルグアイの大統領のスピーチがそれ行われました。南米の小国ウルグアイのホセ・ムカヒ大統領は、世界一貧しい大統領として知られています。

貧困家庭で育ち、軍事政権に対抗してゲリラ活動をして、6発もの銃弾を受け命を取り留め、4度も投獄されるという壮絶な経歴を持ちます。ついに軍事政権を終わらせ、選挙で大統領になりました。

「欲を求めることなく、足るを知って豊かになること」という持論をそのままに生活にして、古いワーゲンのビートル車のみで、大統領公邸には住まずに、首都モンテビデオの郊外の質素な住居に暮しています。給与の大部分を寄付し、月にわずか1000ドルで生活しています。

本来この会議では、各国首脳が集まり議論する場なのに、各国首脳は自分のスピーチが終わるとさっさと会場を後にしてしまいます。ウルグアイのような小国の大統領のスピーチは最後の方で、会場は空席が目立つようになりました。そんな中、ムヒカ大統領のスピーチは、それまでの誰のものよりも率直で心に響くものでした。

現在の世界の経済の仕組みが、強欲と強欲の止めどない競争関係で成り立ち、限りない消費の結果、地球資源が損なわれている、このグローバル経済のあり方に対して一矢報いるスピーチになりました。

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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。 ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。これまでに、ここに立って演説された講演者の皆さまに感謝いたします。

国を代表する者同士、人類が必要としていることを議決してゆかなくてはならないという気概を聞かせて頂きました。ここで私の頭の中にあるいくつかの疑問を提示させていただきます。 これまで皆さんがずっと話されてきたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。 これに対して、私たちの本音は何か?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?そこでいくつかの質問をさせてください。                      「ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか」「その時、呼吸するための酸素がどれくらい残っているのでしょうか」            「欧米の富裕な社会で行われている同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの資源がこの地球にあるのでしょうか」

どうして、私たちはこのような社会を作ってしまったのでしょうか?

資本主義、市場経済の考え方が、一途に発展、成長を求める社会を作って来てしまいました。 市場経済がマーケットとしての社会を造り、世界中のあちこちまで原料を探し求めるようにしてしまいました。このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論は、果たして本当にできるのでしょうか?        どこまでが仲間で、どこからがライバルなのでしょうか?

このようなことを言って、この会議の主題をけなすつもりはありません。その逆で大いに進めなくてはならないと考えています。 その上で、私たちの前に立つ巨大な危機問題は  「環境危機」ではなく、「政治的な危機」問題であることを申し上げなくてはなりません。

現代において、人類が作ったこのグローバル経済という大きな勢力を私たちは、コントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているというのが現実です。

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。

幸せになるためにこの地球にやってきたのです。 

人生は短いし、命よりも高価なものは存在しません。

無制限な消費が世界を壊し、高価な商品や快適なライフスタイルのために人生をあくせくと働き、命である時間を無駄使いしています。

消費することが経済を動かす原動力とするこの世界の仕組みでは、私たちは消費することに疑問を持つことはありません。疑問をもって消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況の  お化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ回転よく多く売らなければなりません。例えば「10万時間使える電球を作る技術があるのに、千時間の寿命の電球を売る方が正しい社会にいるのです。長持ちする電球はマーケットにとってマイナスなのです。 人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。     この悪循環の中にいることにお気づきでしょうか。                      これはまぎれも無く政治問題ですし、私たち首脳はこの問題を別の「解決の道」に世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れと言っている訳ではありません。マーケットを政治的に、ある程度コントロールしなければならないと言っているのです。

古代のギリシャやローマの賢者エピクロスセネカそしてアイマラ族は共通してこのような意味のことを今に伝えています。

「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくら持っても   満足できない人のことだ」

この言葉は、この環境を考える会議にとってのキーポイントだと思います。私は、国の代表としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。                 私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、例えば、水資源の  危機と環境の危機が問題の元でないことを分かってほしいのです。               根本的な問題は私たちが作り上げた社会モデルそのものなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということです。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛がいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国ですが、国土の90%の自然の資源が豊富です。

私の国の労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間の労働で生活が成り立たつようになりました。ところが、実際にはバイクや車などのローンの支払いのためにその2倍も働き、いつの間にか私のような老人になっているのです。「幸福な人生」は、一瞬で目の前を過ぎてしまいます。そして自分にこんな質問を投げかけます「これが人類の運命なのか」

私の言っていることはとてもシンプルなものです。「進歩や発展は幸福を阻害するものであってはいけない」ということです。

「発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません」愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つことで幸福になる仕組みをつくるべきなのです。  幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。

人類の幸福と環境保全維持のバランスは最も大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ご清聴ありがとうございました。

★ 自給自足を目指して養鶏を始めました。 雪にも耐えられる鶏小屋を自力で建てました。鳥骨鶏やひよこの様子をyoutubeにアップしていますので、見てね。
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