2021年3月16日
大浦天主堂を出て、すぐそばのグラバー園へ。
小雨はまだやみません。
残念ながら、グラバー邸は補修工事中で見ることができませんでした(涙)
オペラ「マダムバタフライ=蝶々婦人」は、長崎が舞台。
その作曲者のプッチーニ像
こちらは、マダムバタフライを歌って,国際的に大成功したソプラノ歌手の三浦環の像
三浦環三浦 環(みうら たまき、1884年(明治17年)2月22日 – 1946年(昭和21年)5月26日)は、日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手。十八番であった、プッチーニの『蝶々夫人』の「蝶々さん」と重ね合わされて「マダム・バタフライ」と称され、国際的に広く知られた。本名は柴田 環(しばた たまき)。Wikipedia (JA)
園内にある自由邸喫茶室は、西欧料理発祥の地だそうです。
園から見下ろした港。
お天気だったら、もう少し見晴らしがよかったかな・・・・・
それでも土砂降りでないだけマシですね。
グラバー邸が見れなくて残念でしたが、気を取り直して旧リンガー邸を見学。
応接間。優雅ですね。
居間。年代ものの椅子が使い込まれた味です。
食堂にならべられていた食器類。こんな食事を毎日のようにしていたのでしょうか?
この日のもっとも驚いたことは、これだったかも!
フリーメイソン・ロッジの門
2020年アメリカ大統領選挙のことを調べているうちに知ったフリーメイソン
そうそう、このマークでした!
門として2本、残っています!!
フリーメイソンって,都市伝説ではなく本当に会ったのですね。
明治時代には、もう日本に存在していたのです。
庶民の知らないところで、秘密の会議が行われているのですね!
まさか長崎旅行でこんなことが確かになったなんて、びっくりです。
次は旧オルト邸
玄関横の広いテラスでは、時々パーティがひらかれていたそうです。
玄関前に噴水ですよ!
そして、このすごい蘇鉄。
離れがあって、そのこには台所と、使用人の部屋などがありました。
当時は、こんなかまどで煮炊きしたのですね。
不便だったろうな。当時の人はそんなことは思わないのか?
レンガ作りで頑丈そうです。
ベッドに洋たんす。
ピアノに鏡台。
当時の日本人は見たこともないものだったんでしょうね!
次は、学校あと。
当時、こんなモダンな椅子に腰掛けて勉強していた。
坂道を登っていくと噴水が。
三角は教会を表しているそうです。
最後に、旧三菱第2ドッグハウスに。
ここは、長崎造船所が立てら洋風建築。
入港した外国船乗組員の宿泊施設として利用されていたそうです。
建物前の池には立派な鯉が。
咲き始めた桜が雨にぬれていました。
このころには土砂降りになりました。グラバー園を小雨のうちに見学できたのでよしとしなければ。
この建物の横に、第2ゲート(出入り口)があります。
ここから出ました。ここから出ると斜行エレベーターがあって、坂道をくだらなくていいです。
大浦天主堂駅ではなく、石橋の駅につきます。
つずく
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