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指輪 これは私にとって世界一の価値

昨日から、主人が単身で暮らしている千葉県の自宅に戻っています。30日に秋田の実家へ帰ります。

千葉県の自宅 おかたずけ中

大人が一人で暮らしているのに、どうしてここまで散らかすのか理解できないほど散らかっています。服をあちこちに脱ぎちらかしています。

主人にいまさら怒っても直らない、たぶん死ぬまで直らない。文句を言わずにさっさとかたずけるほうが得策です(苦笑)

いろいろかたずけているうちに、アクセサリーをストックしている箱に行き当たりました。

生活が変わって不必要になったもの

秋田の実家で暮らすようになり、生活が一変しました。

もう公の場に出ての仕事はなくなりました。

家事に母のアッシーに森川農園のお手伝い。自分の仕事のネットショップも家の中で一人での仕事。

着る洋服はカジュアルで動きやすいもの。華やかなパーティに着ていくような服はもう必要ありません。当然アクセサリーをつけてお出かけする機会もほとんどなくなりました。

指輪も農作業の時に邪魔なので、結婚指輪さえはずしています。

実家に持っていった服もアクセサリーも断舎利をずいぶんと進めました。

これからヘビロテするのは、たぶん喪服と喪服にあわせるアクセサリーとバッグ。

いやはや、そんなお年頃になってしましました。

なつかしいイルカの指輪を発見

おかたずけを進めていると、なつかしい指輪を見つけました。

イルカの形で、目がブルーに輝いています。

!!

これは、今年35歳になる長男が小学校の低学年の時、遠足のおみやげに買ってきてくれた指輪です。

なつかしさとうれしさで涙がでそうでした。

苦労した子育て

長男は、幼稚園から小学校までは、外ではいわゆる「よい子」でした。

小学校の先生との面談でも、いつも「まじめによくがんばっています。何も問題ありません。」と言われていました。

ところが学校から帰ると家の中では、拗ねるし、弟はいじめるし、おかたずけはしないしで豹変しました。

たぶん外でいい子にしていたストレスを、家の中で発散していたのでしょう。おこらずに抱きしめてあげて、ストレスが和らぐようにしてあげればよかった!

外でもよい子で、しかも家の中でもよい子でいてほしいなんて、親の私の勝手な要求でしかなかったのですね。

中学に入り、今までよい子でいたこと事への反動か、長男は荒れ始めました。荒れると言ってもかわいいものですが、ほとんど女の家族の中で育った私にはたいへんなことのように感じました。

何度か先生に呼ばれ、校長先生にも呼ばれました。

それでも道をはずすことなく無事に高校へ合格しました。この地域では偏差値の高い高校で、何も勉強しなかった割にはよい成績での合格でした。

ほっとしたのもつかの間、また高校でも問題児になりました。部活とバイトに明け暮れ、まったく勉強しないのです。

後でわかったことですが、必要な単位の時間を出席したら、もう学校には行かず練習したりバイトにいったりしていたようです。

進学校で100%が大学を受験する高校でした。こんな子がいたら周りの子に悪影響を与えるし、クラスの平均点が下がるし、こまった子だったことでしょう。

また高校でも先生に呼ばれました。

口にこそ出さないけれど「どう育てたらこんなひどい子になるんですか?」という先生の心の内が見て取れました。

私は、とにかく人並みに育てなくては! と必死でした。生まれたときから一生懸命に子育てしたつもりでした。だから先生にそう言われても、何をどうすればいいのかまったくわかりませんでした。

そして私にとって一番のダメージだったことは、高3の夏休みに、自己推薦で専門学校を受験して勝手に合格してしまったことでした。

いくら勉強しない子でも、夏に部活を引退したら気持ちを入れ替えて受験勉強するだろうと思っていたからです。いまどき大学も出ていない男の子なんて、やっていけるわけがないと思いました。

でも本人はさっさと決めてしまい、担任にも話して、模試ももう受けずマイペースです。

この時はしばらく落ち込みました。

自分の子どもは、それなりに勉強もできて、それなりの大学も出て、それなりの会社に就職するはずでした。それを信じて疑いませんでした。そうなるように18年育てたつもりでした。

立派な母親と言われたいために子育てをしていた?

結局、専門学校に2年通い、そしてその専門の仕事に就き今に至っています。

今では責任のある仕事を任されて忙しく働いています。

お嫁さんももらい、子どもも生まれ、信じられないくらいに子どもをかわいがっています(笑)

今から思うと、私は立派な母親と言われたいという願望があって、そのために自分の子どもを自分の思うように育てたかったのだと思います。

それがすべてではないけど、どこか心の奥で思っていたのです。

子どもは自分とは違う人格なのだけれど、割り切れていなかったのです。だから子育てが苦しかったのです。

長男が就職し、次男が大学入学で家を離れ「子育てはうまくいかないものだ。それが当たり前。だってちがう人間なのだから。」そう悟ったら一気に楽になりました。

子どものためと言って、実は自分のための子育てだったのですね。自分の生きがいは自分で見つけないと、いつまでも子どもを自分の思い通りにしようとしてしまうのです。

私を成長させるために私の子どもに生まれてきた

いろいろあった子育てでしたが、二人の息子たちは私たちを人間として成長させるために、私たち夫婦の間に生まれてきたのだと思います。

人の親としての気持ちを思う存分に味わうことができました。

何よりもうれしいことは、二人ともよいお嫁さんを見つけたこと!!

あんな問題児だった長男も、勉強ができずに大学を何校も落ちまくった次男も、もったいないほど気立てのよい優秀なお嫁さんをもらいました。本当にありがたいです。

所帯をもった息子たちを見て、私の子育てもそなんなにまちがってはいなかったんだわ、と少しだけ安心しています。

こんなかわいいところもあったのだ

今日みつけたイルカの指輪。

大変だったことを先に思い出してしまうのだけど、長男もこんなやさしい所もあったのです。

幼稚園のころ「大きくなったら母ちゃんにダイヤモンド買ってあげるね。」なんて言ってました。

ダイヤモンドはもういらない。私にはこのイルカの指輪が世界一の指輪です。

本当にありがとう ♪

今日はとてもしあわせな気持ちになれました。

これからも息子たちのしあわせを祈るのみです。


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ITSUKO: 高齢の母のため秋田県大仙市の実家に移住。元ニットデザイナー。NHKのすてきにハンドメイドに出たり、手芸本に作品を提供していました。実家の森川農園の手伝いもしています。森川農園ではアスパラガス・ダリア・野菜・米をなどを栽培しています。2018年乳がん発症闘病中。両足人工股関節。 カザフスタンの歌手 ディマシュ クダイベルゲン dimash のファンです。 農家めし雪国の自然農のブログも書いています。 コロナウイルスをきっかけに世界情勢に目覚めました。日本大好き。美しい日本を守りたい。参政党を応援しています。 くわしいプロフィールはこちらです。 トップはこちら