早朝、自分の部屋にかえる
急患がナースステーションのとなりの部屋に入るとかで、私は予定より数時間早く、自分の部屋にもどることになりました。
自分の部屋はいいわぁ! 窓から景色が見えるし、落ち着きます。重症患者ではなく、普通の患者に格上げです。
数時間ぶりの食事
朝ごはんを食べました。何時間ぶりの食べ物だろう。おいしかった!! オペの次の日から普通にご飯がたべられるなんて感激です。しかも上げ膳据え膳のお姫様状態です。
画像は残念ながらイメージです。病院のごはんはもっと質素です。でもだまっていても出てくるなんてうれしすぎます!
傷が痛くない!
その後、点滴と導尿のくだをはずしてもらい、手術着からパジャマに着替え、血栓予防用の靴下をぬいだら、本当に楽になりました。そしてありがたいことに、傷はほとんど痛まない!! 感謝、感謝です。
先生はまめに何度も部屋に様子を見に来てくださいました。
オペの次の日なのにこんなに楽でいいのか? 本当にありがたい(涙)
私はリンパには転移していなくて、リンパ節の郭清をしなくてすんだのでこんなに楽なのです。リンパもとった人は、腕が痛くて手があがらないし、腕もむくみやすいそうです。
乳がんのタイプは?
私のがんのタイプがわかるのは、切りとったガンを病理検査して、3週間後にわかります。それを見て、今後どのような治療方針にするのか決めるそうです。今は、じたばたしてももうしょうがない。結果を静かに待つことしかできません。
オペの2日目が静かに過ぎる はずだった・・・
この日は特に予定もなく、先生が何度か傷口を見に来てくれたり、看護婦さんの定時の見回りで傷口を見たり、ドレーン(ドレーン(drain)とは、体内に貯留した血液や体液、気体などを体外に排出するために 使用するカテーテルのことである)の液をすてたりするくらいでした。
あとは、のんびりベッドで本を読んだり、スマホをみたり、テレビを見たりしてすごしました。
あまりに眠くなるので、ノートパソコンを出して、ブログを書きました。
そして夕飯を食べ、平和な一日が終わるはずでした。
事件は真夜中に起きた
この日は同室の方が一人退院して、私とかなりの年配のおばあさんと二人でした。
真夜中の2時ころだったと思います。
おばあさんがなにやらビニール袋をごそごそとしています。そのうちベッドから降りて点滴をひきずりながら歩きだしました。私のカーテンも勝手にあけて「おかしいな? どこから来たんだろう?」 と言うよな事を言っています。
あきらかにおかしいので、私のナースコールを押しました。看護婦さんが来て「M子さんどうしたの?」と聞きました。
「ウチに帰らなければいけない!!」 とM子さん。
「なに言ってるの! 真っ暗だよ。まずはベッドにあがって明るくなるまで寝ましょうよ。」 とベッドにあげたり、すわらせたりします。
しかし看護婦さんが行ってしまうと、また同じ事をはじめます。ビニール袋に荷物をつめだし始めます。それがずっと朝までえんえんと続きました。結局、私もぜんぜん眠れませんでした(泣)
M子さん、おととい、昨日と高熱でした。膀胱にばい菌がはいったのだろうと先生が言っていました。昨日やっと熱がさがったのですが、M子さんは熱が高かったときのことをまるで覚えていないようでした。
朝、担当の先生が出勤してくると、さっそく娘さんに電話。いったん退院させることにしました。ところがその後も動き回って危ない。なにしろ、よたよたと歩くのもままならないのですから。
結局、担当の看護婦さんが車椅子に乗せて、自分の仕事先まで一緒に連れて行き、話をしながら娘さんをまっていました。私もあと何年かしたらああなるんだ・・・とちょっと悲しくなりました。
娘さんはフルタイムで働いているようで、夫(88歳って言ってました)が迎えに来ました。看護婦さんの説明を夫が聞いていたけど、たぶんぜんぜんわかってないな。これが高齢化日本の現実です。
以前、股関節のオペのときにも、こんなことが時々ありました。こうなると、看護婦さんが仕事にならないのです。悲しい現実です。
入院3日目は、日本の高齢化をまざまざと見せつけられ、ほろ苦い気持ちで終わりました。