あの日は、私が東京の千駄木というところでやっていた「トレマーガ」という手芸店にいました。
個人レッスンの生徒さんが帰って一息いれようと思っていた時、今までにない強い揺れを感じました。
お店はボロボロの日本家屋だったので、机の下にもぐりながら「ビルがこの上に倒れてきて死んじゃうんだろうな。」と思いました。お店の商品は床にバラバラ落ちました。
そのあと、家には帰れないと悟り、コンビニへ食料の買い出しに行きました。その時、みんながぞろぞろと歩いて帰途に着いていました。帰宅難民です。あの不気味な光景は忘れられません。
電気などのライフラインはこわれなかった東京。パソコンでは福島の原発事故の様子や、津波の様子が次から次へと流れてきました。余震が続くなか、これからどうなって行くのだろう? と不安な一夜を過ごしました。
次の日には、スーパーもドラッグストアーも棚には商品がありません。水はもうぜんぜん残っていませんでした。そして電気の節約。予定停電など、みんなよくがまんしました。最近はすっかりわすれてしまい、反省です。
その後の7年間、波乱万丈でした。小説が書けるほど(笑)
ふつうの主婦をしていたら、あれほどの忙しさも、楽しさも、苦しさも、恐怖も、ストレスも、喜びも、味わうことはできなかったでしょう。ブログには書けないようなヤバイこともありました。
今思うと、本当によく生きて来たね。えらいぞ自分!!
今、病を得て、これからの生き方を考える時間をもらいました。
私がこうして生かされているということは、まだこの世の中に貢献しなさい、ということなのだと思います。
病気を治して、がんと付き合いながら、もう少しみんなの役に立つよう生きてみたい。もうひとがんばりします!
福島の原発は、まだ廃炉にすることさえできず、汚染水を太平洋にながし続けています。浅はかな人間の浅知恵で、神の領域に踏み込んでしまったツケは大きいです。
福島の土や緑が元通りになるのに何年かかるのか? 海の水がもう一度すむのにどれくらいの期間がかかるのか? だれにも予測がつきません。私が生きている間には到底無理でしょう。それどころか、これからの地球に悪影響がおこるかもしれない。
原子力と遺伝子組み換えは、神の領域で、人間が踏み込んではいうなかったのだと私は思います。
人間は自然の前では無力です。人間の力で自然をコントロールできると思っているのだとしたら大間違い。
どうか放射能の汚染がはやくなくなりますように。
あの日、まだまだ生きたかったのに命を落としてしまった方のご冥福をお祈りいたします。
合掌