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過去のオペの記憶

何度も全身麻酔のオペを経験している私は、今も、不思議なほどおちついています。

yukafujii / Pixabay

全身麻酔のオペに慣れている私

その昔、最初に左の股関節をオペしたのは今から25年前。自分の腸骨(骨盤の骨)を切り取って、臼蓋(股関節の上の方)に移植するという「骨切術」という手術でした。

入院期間が3か月弱。退院してから1年近く杖をついての生活でした。子どもたちは小3と小1、主人は出張がちで子どもを見ることができず、実家にあずけ転校させての入院でした。

命に別状はない手術ですが、なにしろ、骨を切り刻むオペです。オペが終わってからベッドの上で寝返りもしてはいけない日々が3週間! この期間は、言葉では言い表せないほどの苦痛でした。

寝返りができない、自由に体を動かしてはいけないということがどれほど苦しいか、体験したものしかわかりません。

その7年後に右足の同様のオペ。この時は、子どもたちは高1と中2でした。さすがに転校させるわけにはいかず、自宅でお留守番させました。主人の姉と、私の母がたま~に来てくれたようです。

この時には医学が少し進歩していて、最初のオペほどつらいとは思いませんでした。

そして2010年の人工股関節のオペ。この時は両足一緒のオペです。10日ほどの入院で、退院して1か月後には、なんとか普通に歩けていました。医学の進歩には驚かされました。オペした次の日には立って自分でトイレに行きました。

切り取った私の骨は生ゴミに棄てられたんだろうか? なんて呑気に考えていました(笑) ちゃんと医療ゴミに出されたそうです! 最初の骨切のオペに比べて、なんて楽なんだと感激したもんです。

今は医学も進歩して、私の最初のオペのように3週間も寝たきりにはさせないでしょう。この骨切というオペは、今もしいるのかな? 人工股関節が発達したので、すぐに人工股関節にする人が多くなっているのではないかと推測します。

股関節のオペ以前、34年前に長男を帝王切開しているので、下腹部は傷だらけ。5本の大きな傷があります。まさに傷だらけの人生です(笑)

こんな具合にオペ慣れしている私は、はじめての人に比べればオペに対する恐怖心はありません。乳がん全摘のオペなんて、先生にしてみれば朝飯前の仕事です。私が寝ている間に、先生と看護婦さんががんばってくださいます。

手術の付き添い

今まで何回も手術をしてきました。オペには何かあった時のために家族が待機していなければいけないという決まりがあります。

帝王切開の時には、今は亡き私の父が、股関節のオペの時には主人が付き添ってくれました。帝王切開なんてあっという間に終わってしまいました。

しかし、股関節のオペは長い。必ず誰かは控室で待機していなければいけないのに、主人は毎回、途中で抜け出してどこかへ行ってました。何もなかったからよかったけど、何かあったら絶対に化けて出てやる!! と思いましたよ(笑)

今回は主人はドイツに出張中でいません。息子に一人で付き添いをお願いしようと思ったけど、ご飯に行けないなと思って、息子のお嫁さんに仕事を休んで一緒に来てもらうようにお願いしてました。

ところが、頼みもしないのに、妹とおばも来てくれるということです。ありがたいことです。こんなににぎやかなオペははじめてです(笑)

母は最初から来てくれるわけがないと私はわかってました。腰が痛いから長時間、病院の椅子に座っているのは無理です。今まで、2度のお産も、股関節の数回のオペも、母に付き添ってもらったことはありません。

今回は、息子も、妹も、おばも、母が当然ついてくると思っていたらしく、来ないということにびっくりしていました。私だけは来ないと最初からわかっていました。そういう親子関係なんだよなぁ、私と母は!

5月には、母の両目の白内障のオペが待っています。日帰りだけど、その後2日間通院で結構大変です。それまでは、私も車の運転ができるようになっているはず。ああぁ、私もがん患者だというのに母の奴隷のようです(笑)

こんな母でも、私が生きなければならない理由になっているんだから、まあ仕方がない。

Meditations / Pixabay

入院の荷物

25年前の股関節のオペの時の荷物はものすごく多かったです。今とちがって、パジャマも自前のもの、リハビリに着るウエアもくつも持参、3か月ちかくあるというので編み物の道具もタップリ持って行きました。

それにくらべれば今回は少ないです。パジャマも借りるし、前あきの下着やら洗面セットまでレンタルできるそう。迷わずそれを利用することにしました。

そのかわり、ノートパソコンとポケットWiFiを持って行きます。

荷物は、ころころ転がすスーツケース(飛行機に乗る時に持ち込み可能な一番おおきいサイズ)が1個と、そのスーツケースの持ち手に通せるサブバッグが1個です。

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サブバッグには、バスタオルが3枚に、フェイスタイルが4枚などなど、乳がんの手術のために使うタオル類や着替えを入れました。あとは小さなリュックにお財布やカードや携帯をいれて背負って行きます。

はじめて大きな手術をする人にくらべれば、慣れている私は冷静です。怖さはぜんぜんありません。こわいのは、オペ後の再発・転移です。

生きている限り、がんとのお付き合いは続きます。できることなら、今後はがんにはおとなしくしていてほしいものです!!


ITSUKO: 高齢の母のため秋田県大仙市の実家に移住。元ニットデザイナー。NHKのすてきにハンドメイドに出たり、手芸本に作品を提供していました。実家の森川農園の手伝いもしています。森川農園ではアスパラガス・ダリア・野菜・米をなどを栽培しています。2018年乳がん発症闘病中。両足人工股関節。 カザフスタンの歌手 ディマシュ クダイベルゲン dimash のファンです。 農家めし雪国の自然農のブログも書いています。 コロナウイルスをきっかけに世界情勢に目覚めました。日本大好き。美しい日本を守りたい。参政党を応援しています。 くわしいプロフィールはこちらです。 トップはこちら