圧倒的に不利な戦いに挑んだ侍たち

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圧倒的に不利な戦いに挑んだ侍たち

昨年2022年7月の参議院選挙に、参政党から立候補した安達ゆうじ氏のFBです。

今から考えても、本当に不利な戦いでした。

それを言葉にしてくれた安達さん。

・ 新聞やテレビやネットニュースなどのマスコミが作る「常識」と違うことを訴えていた

・「個人の目先の利益」より「日本人全体の長期的な利益」を訴えることが多く、最終的にどう有権者の利益にむすびつくのか分かりにくかった
 
・マスメディアから批判的にみられ、参政党の主張は無視又は曲解されていた
 
 
あえてハンディキャップを背負った選挙戦に自ら身を挺していくのであって、参政党から立候補することは、個人の利益の観点で見た場合、非常に大変なことだったのです。

こんな不利な中で参政党から立候補してくれたみなさん、本当にありがとうございました。

その結果、神谷宗幣氏が当選し、参政党員が10万人を超えました。

これは奇跡!

その後も、私たちは党費を払い、活動はボランティアでがんばっています。

すべては、平和な日本を孫やその先の子どもたちに引き継ぐためです!

長文ですが、ぜひ安達氏の文章を読んでくださいね。

 

安達悠司 氏  プロフィール(FB)

楽しく弁護士をしております(^.^)昭和57年6月生、京都市在住。京大法卒。京都市で安達法律事務所(10年)。国体法、国防勉強会月1開催。参政党より参院選に立候補し、ご支援賜りありがとうございました。

 

 
 
自らの体験から感じた、参政党での選挙について(ふりかえり)
(長文です)
1
私から見ると、参政党の選挙戦は根本的に大きな困難を抱えながら戦っていたように思います。
まず、参政党の訴えていた重点政策は、有権者に対し、目先の利益で誘導しません。「消費税を減税します」、「月10万円配ります」、「議員定数を減らし、その分年金財源に充てます」などという方が、消費者の目先の利益にこたえているように見えます。
しかし、参政党が訴えていたのは、まずは、「子どもの教育」、しかも給食費を安くするとか、授業料をただにするというのではなく、「自分で考える力をもった子どもを育てる」「自尊史観にたった歴史教育を改める」などという、目先の損得ではない話がメインです。長期的にみたときに、日本にとってプラスになる話を第一に訴えているのです。これでは、多くの有権者にとって、投票した場合の利益が分かりにくいのです。同じように、第二の重点政策、「食と健康、環境保全」も、添加物や農薬や遺伝子組換え、あるいは投薬中心の医療のあり方の変革などを訴えており、これも長期的にみたときの有権者の利益を考慮したものです。最後の「国まもり」も、外国による過度な土地買収や企業買収の制限、外国人参政権の阻止など、理想としては共感しても、有権者一人一人の個人の利益にどう結びつくのかと言われると、いろいろと説明が必要になります。
つまり、参政党の理念や重点政策は、長い目でみたときに、日本という国や、日本人全体、あるいは将来の世代のためを考えて、よりよい国にしましょう、今、これを誰かがやり始めないと、経済でも健康でも、どんどん悪くなっていく一方ですよ、と言っていたように思います。
だから、はっきり言って、これまでの常識では、選挙に向いていない政策アピールをしていたと思います。有権者に対し、「お金を配ります」「働かなくてもいいです」「運動しなくてもいいです」などという楽なアピールはあまりしません。
「マスコミの情報に流されず、自分たちで正しい情報が何かを考えましょう。」「日本人が一生懸命働いて、子供たちのために、よりよい国にしていきましょう」「健康についても、ただ勧められるがままマスクをして、ワクチンを打って、家にこもっていると、それは本当に健康と言えますか?何が健康なのか、自分で考え、よく調べ、よく学びましょう」「こうしたことを一人でやるのは大変だから、気づいた人から、みんなで一緒に学び、行動していきましょう」ということを言っています。できる限りの自主自立を促すわけです。そして、一人では難しいことが多いから、皆で一緒に勉強したり、活動したりするわけです。
歴史や国家観を学び、医療や健康について学び、食糧や国防について学びます。これまでの教育や報道で、なぜか教えられてこなかった部分を中心にー国家観とは何か、国防とは何か、報道機関とはいったい何か、立志や修身とは何か、米軍占領下で何が起きたのか、主権回復後は完全に日本は独立したのか、なぜ占領下でつくられた憲法が今まで生きているのか…など、学んでいきます。もちろん、ただ一つの正しい答えがあるわけではないと思います。しかし、これまで、学んだことがない、考えたことがない、しかい、国家観について、軍事について、報道機関について少しずつ学んでいくにつれ、日本よりも外国の方が、こうした教育が進んでいる面があることに気づいたり、日本では戦前はこうした教育もしていたのに、戦後はなぜか大きく失われてしまっていることが分かります。
そのうちに、日本で流通している情報や、教育、歴史、報道のなかに、大きく欠けているものがあることに気づくと、日本が今後再び経済成長し、皆の豊かな生活を取り戻すためには、この欠落した情報を知り、学んでいくことが必要だと考える人も増えてくるのではないでしょうか。
 
2
前置きが長くなりましたが、このように、参政党は、目先の個人の利益ではなく、長期的な国家や日本人全体の利益のために活動を行っていたと思います。
ですので、「目先の個人の利益」を訴えるか、「長期的な全体の利益」を訴えるか、どちらが票につながりやすいかというと、秘密投票、個人投票、無記名投票、短い選挙期間、候補者の情報を知る機会が少ない、などという現代日本の選挙の特徴を考えると、どうしても、目先の個人の利益をベースに投票行動がとられがちではないでしょうか。
それでも、参政党は、「目先の個人の利益」ではなく、主に「長期的な日本人全体の利益」になることをたくさん訴えていました。そして、情報の多くをコントロールしているマスメディアの報道に対しても批判的です。マスメディアの提供する情報にも偏りや欠落があるのではないか、マスメディアの報道だけに流されず、自分たちで情報を考えて発信していこう、という姿勢をとっています。これでは、マスメディアやスポンサー、広告代理店、外国資本にとって必ずしも都合の良い話ではないので、マスメディアには、あまり好意的に取り上げてもらえそうにありません。現実に、参政党は、大手マスメディアからは、批判的に取り上げられることの方が多いと思います。
そのような参政党の訴えている内容からすると、目先の生活、目先の利益にしか関心がない人や、マスメディアの情報だけを信じている人にとっては、参政党はあまり選択肢に入ってきませんし、そもそも、知る機会すら少ないでしょう。したがって、よほど、その候補者が個人的に有名であるとか、知名度が高いとか、ファンが多いとか、その地域で多くの知り合いがいるとか、特別な条件がなければ、参政党から候補者として立候補しても、厳しい選挙戦だったと言わざるを得ません。
このように、参政党から候補者として選挙に出るということは、自ら好き好んで、ハンディキャップを背負って選挙戦を戦うようなものだったと思います。
・新聞やテレビやネットニュースなどのマスコミが作る「常識」と違うことを訴えている。
・「個人の目先の利益」より「日本人全体の長期的な利益」を訴えることが多く、最終的にどう有権者の利益にむすびつくのか分かりにくいことがある。
・マスメディアから批判的にみられ、参政党の主張は無視又は曲解されることがある。
このような3つの特徴のため、専らマスメディアから情報を得ている人にとっては、参政党は、知られず、また知られても異端者・陰謀論などとして敬遠されがちです。
このように選挙に通りにくい内容をあえて訴えていたので、参政党から選挙に出ること自体、「出馬する個人の利益」という観点で見た場合は不合理なわけです。
・自分は変わり者と思われてもいいから、正しいと思う情報を世の中に広めたい
・自分は議員になれなくてもいいから、参政党を世に広めたい
・お金を持ち出してもいいから、本当に次の世代のためになることをしたい
候補者の人をみると、こうした動機で、何か個人の利害を超えて行っていたように思います。
ただし、これらを、かっこいいとか、素晴らしいとおもって、周りからそのような評判が立つかと思うと、まったくそのような評判にはならず、かえって誤解やレッテル張りなど、そういった可能性が往々にしてあります。
なぜなら、本当に日本という国のために、日本人全体のためにしようと思ってしていることを、理解してくれる人もいますが、前提となる物の見方が違うと、他意をもってとらえられたり、日本の力を強くしたくないと思っている国などから陰に陽に干渉された他意ということがあり得ます。
だから、私からすると、立候補した人に対し「よく参政党から立候補しますね」という感嘆の言葉しかありませんでした。本当に稀有な存在だったと思いますし、今もそう思います。
 
3
しかし、私は、かえって、いったんこれを分かってしまえば、ある程度楽観的に考えることも必要だと思いました。自分個人の当選だけを目的にしているのではない、ということであり、言い換えれば、参政党や、日本全体の利益、もっと言えば将来の世代のことも考えて出ているのだ、と考えることは、かえって気が楽になることもあるのではないでしょうか。例えば、もともと大変な事に取り組もうとしているのだから、ある程度うまくいかないことがあっても、それでも当たり前、と割り切りやすくなるかもしれません。いったん逆境だと覚悟してしまえば、逆境が当たり前になるので、乗り越えやすくなる、というパラドックスです。
また、自分個人の利益だけのために戦っていない、ということで、仲間ができ、仲間が増えやすかったと思います。また、その仲間というのも、同じように、自分個人の利益だけのために活動しているのではない、世間でも稀有な存在です。献身的に、また、奇特で、本当にありがたい仲間です。
さらに、後悔しない、というか、やってよかったなという思いが自然と感じられたように思います。
このように、いったん逆境だと覚悟してかかることで、ある程度想定内になるということと、それでも一緒に行動して、手伝っていただける仲間が本当に奇特に、また、ありがたく感じます。
 
4
参政党の候補者になって選挙ということは、これが大前提だったように思います。つまり、個人の利益だけで考えた場合、多くの有権者にとってわかりにくい内容を、マスメディアにもあまり好意的に扱ってもらえない環境下で、あえてハンディキャップを背負った選挙戦に自ら身を挺していくのであって、参政党から立候補することは、個人の利益の観点で見た場合、非常に大変なことです。
しかし、日本人全体の利益、日本の国家としてみた場合の国益のために、これは、将来の日本人の子孫のために、必要ではないかと思うから、逆境の中で、自分が必要と考える情報を広め、逆境の中で、真に日本に必要と考える政策を打ち出す、これが参政党の醍醐味であり、また、特徴だったのではないかと思います。
 
5
普通に考えると、このような大変な選挙を応援してくれる人など、いるはずがないでしょう。しかし、その大変さを、面白いと思って、応援してくれる人がいる、手伝ってくれる、あるいは自分以上に一緒に行動してくれる人がいたのです。これは、すごいことではないでしょうか。もちろん、その人なりに、何かしらの思いをもって、行動しているわけで、それは必ずしも自分と100%同じかどうかはわかりませんが、それでも、理念や目的を同じくするというのは、大変ありがたいことです。
2000年以上続いてきた日本を、次の世代に継承するために、必要と思う情報を提供し、必要と思う政策に取り組む。こうしたまたとない機会が、日本に初めて(単独の政党としては)生まれた、参政党だと私は思っています。
候補者としての自分自身のわずかな体験を顧みて、そういう話を書いてみたかったので、つらつら書いてみました。読んでいただいて、ありがとうございます。
 
 
 
 

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