参政党とは何だったか

(以下は私の個人的見解です。)

今になって、大手マスメディアが参政党を取り上げ、それに伴い、メディアに出演したり記事を書く人たちが、こぞって参政党の記事を書き始めた。

また、参政党に対する誤解や批判的な記事も増えているのが気になる。

参政党を書かれたものだけで判断しようとすると、まず間違うと思う。

「オーガニックな右翼政党」という記事もあり、たしかに参政党は、化学物質に頼らない医療や農業をうたっているが、それは本質ではない。

「ノーマスクでひとだかり」という記事もあるが、屋外でマスクをしないことにそれほど本質があるわけではない(既に政府も、屋外でマスクをしないことを推奨している)。

参政党は、端的に言えば、日本を大切にしたい、という思いを持った人たちの集まりだと感じる。それが参政党であり、そこには、年齢も、世代も、職業も、男女も、信仰もなく、ただ、この日本を大切に次の世代へつなげたい、という思いがあるだけだ。

それがなくなったら、参政党ではないだろうし、逆にいうと、それがある限り、参政党であり続けるだろう。

今のマスメディアや言論人が正面から取り上げないのは「思い」という観念だ。唯物論的思考、つまり、かたちにされた物、物質、金銭的価値に換算できるものしか信用しない傾向が続いてきた。精神論や、精神的価値を、無視あるいは軽視していると、参政党のことはなかなか理解しないし、場合によったら、そのように先入観のある人は、理解することがなかなか難しいかもしれない。子どものほうが理解するのが早いかもしれない。

私たちが先祖から守り続け、受け継がれてきた日本を、次の世代につないでゆきたいという思いによって、参政党は成り立っている。

参政党の「だいだい」カラーは、先祖「代々」、子孫「代々」の「だいだい」につながり、明るい日本の太陽の光の象徴だ。

参政党の活動には、たてのつながりと、明るさがある。人を攻撃せず、自分たちがしたいことを伝えていく。女性の参加者も多い。主婦の方、パート・アルバイトの方、自営業の方、会社員の方、リタイアされた方、学生の方・・・ほんとうに様々な職業の方が集まってきている。

活動の「明るさ」がなくなれば、参政党ではない、とも感じる。逆に、活動にだいだい色の、底抜けの明るさがあり、楽しい雰囲気があってこそ、参政党だ。なぜかはわからない。しかし、橙色のシャツを着て、または、橙色の物を身にまとい、街頭に出てゆけば、自然と気分は太陽と一つ、皆と一つの心意気になってゆく。

机の上で、部屋の中で、ああでもない、こうでもないと、学者の議論をしているわけでもない、難しい話をしているわけではない。そういう活動ではなく、屋外で、野外で、私たちは、活動し、訴えかけた。

参政党のフィールドは、だから、ネットではないと思う。「ネット政党」と言われることもあるかもしれないが、それも本質ではないと思う。ネットは、街頭演説などの活動を、動画などで拡散する手段であって、ネットや動画に本質があるとは思わない。皆が集い、涙を流すのは、やはり神谷さんなど参政党メンバーの演説を聞きに行くことにある。皆と一体となって感じる、これまで、ほとんどの政党が伝えてこなかった話を聞く。そして、私たちは新たな事実に気づく。新しい情報に基づいて、これからの世の中をつくってゆく動きを起こすのが参政党だ。

これまで私は、以下のことを参政党の特徴として挙げた。

1 日本人として、日本を大切にしたいという「思い」

2 だいだい色のカラーを基調とした「明るさ」

3 「街頭」で聞く、これまでの政党が伝えてこない話

参政党は、まず何よりも、日本を大切にしようという思いがあるかどうか、これが根本だと感じている。

私たちは、すべてはそのために行動しているのだし、教育の話も、食品や農業の話も、外資規制の話も、コロナ規制やワクチンの話も、みんな、根本の思いはそこにあるからだ。

しかしメディアは「日本を大切にしようという思い」にまで踏み込んで、参政党を報道するのは、まだ少ない。そこに足を踏み入れると、真実の報道になってしまうからだ。日本人の魂を目覚めさせ、日本人が心の奥底で無意識のうちに大切にしてきた、正当な民族感情を呼び覚ましてしまうかもしれない。

私たちが参政党のことを発信することで、多くの人たちに思いが伝わってゆくだろう。思いは伝播する。その思いにこそ真実があると思う。