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バルセロナ旅行記 カタルーニャ音楽堂

2018年、シニア夫婦でバルセロナに1週間旅行に行ってきました。

ツアーではない個人旅行で、すべて自分たちで計画・予約しました。

今日はカタルーニャ音楽堂について詳しくレポートします。

世界遺産なのに現役のコンサートホール カタルーニャ音楽堂

ガウディと並びカタルーニャを代表する建築家のリュイス・ドメネク・イ・ムンタネー(Lluís Domènech i Montaner) が造ったのが、このカタルーニャ音楽堂です。

ムンタネーは、建物全体を船に見立て、船首にあたる角に騎士サン・ジョルディ(伝説の騎士)の彫刻を配置しました。

カタルーニャ音楽堂が建てられた1900年の初頭、イギリスで起こった産業革命に刺激され、カタルーニャにも産業革命が起きた時代でした。

当時、バルセロナでは木綿産業で莫大な富が生み出されていました。豊かな経済力を後ろ盾に、自分達の伝統やアイデンティティへの関心が高まり、結果この地に独特のモデル二スモ様式が育まれます。

曲線にステンドグラス


薔薇はカタルーニャの州花です。

小ホール。


過剰と思えるほど装飾されたシャンデリア。

幕間の休憩室。ステンドグラスがよく映える壁の二面がガラス張りです。

トレンカディス(破砕タイルによるモザイク)で彩られた柱たち

バルコニーの柱は全て異なる色彩とデザインと言う凝りようで、ずっと眺めていても飽きる事がありませ ん。

細かく砕いたタイルでの装飾(トレンカディス)の支柱。それぞでの色や模様がちがっています。


柱の上部や天井にも薔薇の装飾。

音楽堂は、当時の最先端技術であった鉄骨構造体でできています。鉄骨構造にステンドグラスや破砕タイルを使い命を吹き込んだのが、ムンタネーです。

豪華絢爛 大ホール


この日(2018年12月3日)は、小学生が社会見学に来ていました。その小学生に大ホールの仕組みやパイプオルガンの仕組みなどを説明していました。

ちょうど、パイプオルガンの演奏を小学生に聞かせていて、私たちも一緒に聞くことができました。

私たちはコンサートを聞きに行ったのではなくて、この音楽堂をめぐるツアーに参加していたので、パイプオルガンが聞けてラッキーでした。

ただ、このツアーには日本語のツアーがなくて英語のツアーへの参加でした。主人はほぼわかったようですが、私はほぼ理解できませんでした(涙)

舞台の両側は観客席になっています。


この席は広いですね。桟敷席のようなものでしょうか? 席の後ろのステンドグラスも美しい!

そして誰もが息をのんでしまうのがここ。

コンサートホールの天井には光の大きな雫にも似た、太陽をシンボルとしたステンドグラス。このステンドグラスは、バルセロナで見たどのステンドグラスより美しかったです。

廊下にもステンドグラス。

ここは1階にあるカフェ。ここはコンサート来場者でなくとも利用出来ます。世界遺産でカフェって最高ですよね!

トレンカディスが美しい太い柱は、かつての切符売り場窓口。

もともとこの音楽堂は、ウルフェー・カタラーという、カタルーニャの伝統音楽を歌う合唱団のために建てられたものだそう。

当時の合唱団はプロの音楽家ではなく、その頃バルセロナに多かった紡績工場で働く職人や労働者の人々がメンバー。そして、彼らの住まいが集まるのがこの地区だったこともあり、今のような奥まった場所に音楽堂ができたと言う訳だそうです。

当時のバルセロナの財力や新進の気質は、素晴らしいものがあったのですね。さすが無敵艦隊の国です。

ガウディばかりが注目させがちですが、私はこのリュイス・ドメネク・イ・ムンタネーの建築がものすごく気に入りました。

彼のもう一つの傑作のサンパウ病院も素晴らしかったです。サンパウ病院はまた日をあらためてレポートします。


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ITSUKO: 高齢の母のため秋田県大仙市の実家に移住。元ニットデザイナー。NHKのすてきにハンドメイドに出たり、手芸本に作品を提供していました。実家の森川農園の手伝いもしています。森川農園ではアスパラガス・ダリア・野菜・米をなどを栽培しています。2018年乳がん発症闘病中。両足人工股関節。 カザフスタンの歌手 ディマシュ クダイベルゲン dimash のファンです。 農家めし雪国の自然農のブログも書いています。 コロナウイルスをきっかけに世界情勢に目覚めました。日本大好き。美しい日本を守りたい。参政党を応援しています。 くわしいプロフィールはこちらです。 トップはこちら