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看護婦さんに聞いた80代の乳がん患者の話と私の人生観

今、私が乳がんでお世話になっている病院の看護婦さんに聞いたお話です。

80代の乳がん患者さんのことです。

geralt / Pixabay

その患者さんは80代。乳がんで乳房を全摘した方でした。普通は、高齢の方や、転移していて体の状態がよくない方には乳房再建の話はしないそうです。

ところが、この患者さんは「乳房の再建がしたいのでオペをお願いします。」と言ってきたそう。

その理由が、

「 おっぱいのない体で棺桶に入りたくない 」 

というものだったそうです!!

なるほどなぁ~~~

若い乳がん患者はこれから生きていくために再建を考える

若い乳がん患者は、これから生きていく上での生活の質を考えて乳房の再建をするのです。生きることが前提です。それは当然のこと。

おっぱいがなくなることで、体のバランスが悪くなるという身体的な理由もあるけれど、自分の裸体を見るのがつらいとか、女性としての自信がなくなり落ち込むとか、乳房だけではなくいろいろなものをなくしてしまったような喪失感があるとか、心理的な理由も多いと思います。

私は、まだ全摘の手術をしていないし、もう還暦で孫もいるし、若い乳がん患者さんの気持ちを100%理解できるかと言ったらできないと思います。

でも、おおよそは推測できます。

老いた乳がん患者は死を意識して再建を考える

上に書いた80代の乳がん患者さんは、死を意識しての乳房再建です。

「死」よりは「来世」を意識してかな? むこうの世界に行って新しい人生を始める時に、五体満足で始めたいということなのでしょうか?

なんとなくわかるような気もします。

私なら、死んだら魂だけがぬけ出ていくと思っているので、今生の体はもういいと思う。でも、死んであの世に行ったことがないから本当のことはわかりません。あの世にいたのかもしれないけど、記憶にありません(笑)

病院は人生の縮図

私は、両側脱臼性股関節症で、左右の股関節を2回ずつオペしてしています。

特に最初の2回は、自骨を切り刻んでのオペだったので、それぞれ3か月近く入院しました。

死に直結する病気ではないので、冷静に周りを観察する余裕がありました。ベッドにすわれるようになってからは、毎日楽しく編み物をしていました(笑)

最初のオペは25年前。まだ若くてすぐに元気になることはわかっているのだけど、ベッドに寝たきりの3週間は
「私は世話をしてもらわなければ生きてもいけない。何の役にも立たない人間だ・・・」
そんな卑屈な気持ちになりました。

若い私でもそう思うのだから、年取って頭がしっかりしていて寝たきりになったら、生きているのが嫌になるだろうなと思いました。

3か月近く入院していると色々なことが見えてきます。病院の先生や看護婦さんの派閥まで推測できるようになります(笑)

そして、まわりの患者さんたちを観察していました。

・ ベット周りのカーテンを閉めて、誰とも話をしない人
・ 周りにずっと話かけてうるさい人
・ 消灯時間になりみんなが寝ているのに、一人だけ起きて煌々と灯りをつけていても平気な人
・ 他の部屋に行っては、同室の患者さんの悪口を言う人
などなど様々です。

なかには、いつもご主人と愛人がかわるがわるお見舞いに来て、ある日病院で鉢合わせして大騒ぎになった! なんて人もいました。 実話です 💀

そして、お見舞いに来る人を見ると、その人がどんな人生を歩んできたのかがわかる。

子供や孫やひ孫や、友人知人がひっきりなしに訪ねてくるおじいさんもいれば、まったく誰も訪ねてこない人もいる。

私はどんな人生を歩んできたのだのだろう? これからどんな人生を歩みたいのだろう? と考えさせられました。

入院は自分の人生を考える機会

私はと言えば、長男は帝王切開。実家にいたのですが、主人は海外出張で、オペの時に病院にいてくれたのが今は亡き父でした。

次男のお産は早期破水で緊急入院。入院1か月目に予定日より1か月も早く生まれました。この時は長男よりさらに運が悪く、当時すんでいた川崎市に長男と二人でいました。主人はあいかわらず海外出張中。長男をつれて病院へ行きました。今は亡き主人の母にきてもらって、長男を主人の実家へ連れて行ってもらいました。

実家はそのころ米農家で稲刈りのまっさい中。秋田から出てくる余裕はない。入院中、主人の姉夫婦がいちどたずねて来てくれたのみで寂しい入院生活でした。まるで不倫でもしてできた子供を、ひとりでかくれて生んだような気分でした(爆)

両足のオペの時には、さすがに予定してある日にオペをしたので、オペの時にいたのは主人でした。長期入院だったので、子供は転校させて実家であずかってもらっていました。でも、自宅からも実家からも離れた病院だったので、たま~に主人が来るくらい。この時も寂しい入院生活でした。

主人は、空気よめない病なので「大丈夫。なんとかなるからそんなに来なくていいよ。」というと、額面通り受けとって本当に来ないのです(笑)

2010年の人工股関節のオペの時には、息子たちはもう社会人だったのにお見舞いに来る気配もない。長男は、退院する日に
「 お見舞いに行った方がいい? 」
と連絡してきましたが、もう遅いっちゅーの!

次男にいたっては、退院してから数日たってから自宅に来て、
「 母ちゃん、まるで病人じゃん 」
と言う!  りっぱな病人だよ~~~

今回の乳がんのオペは3月下旬になりそうですが、やっぱり主人は海外出張の予定。今回のオペのつきそいは次男になりそうです。こんな息子たちでも、いないよりましか(笑)

私はなんでも一人で決めて、なんでも一人で行動します。周りに迷惑をかけてはいけないと強く思っているところがあって、他人の生活に深くふみ込みません。なので、家族も淡々とそれぞれ生活しています。それが影響しているんだろうな。

それが良いとか悪いとかではなくて、私が選んだ生き方の結果が今なのだと思います。一人で生まれて一人で死んでいく、それが人間なんだと妙に悟ったところがあるのです。

多分これからも、あまり周りに干渉せず淡々と生きていく事でしょう。そんな気持ちを吐き出すところが、私の場合はブログを書くということなのです。

今回の乳がんの全摘の入院は1週間ほどです。短期なので、先生たちの派閥がわかるまで推測はできないでしょう(笑)

オペ慣れしているので、今回も全くこわくありません。乳がんの全摘なんて、先生にしてみれば日常茶飯事、私がメリヤス編みを編むくらい簡単な仕事です。オペは先生や看護婦さんにお任せして、私は体調を整えることに集中します。

そして乳がんになってしまった生活習慣を改めます。人間なんていつ死ぬかもわからない。もうこれからは、なるべく楽しいことだけをして生きていきます。


ITSUKO: 高齢の母のため秋田県大仙市の実家に移住。元ニットデザイナー。NHKのすてきにハンドメイドに出たり、手芸本に作品を提供していました。実家の森川農園の手伝いもしています。森川農園ではアスパラガス・ダリア・野菜・米をなどを栽培しています。2018年乳がん発症闘病中。両足人工股関節。 カザフスタンの歌手 ディマシュ クダイベルゲン dimash のファンです。 農家めし雪国の自然農のブログも書いています。 コロナウイルスをきっかけに世界情勢に目覚めました。日本大好き。美しい日本を守りたい。参政党を応援しています。 くわしいプロフィールはこちらです。 トップはこちら