私は両足が人工股関節です。この5月で人工股関節にして10年になります。私はサイボーとして10年生きています ((´∀`))ケラケラ
普段は、自分が人工股関節であることを忘れるほど快適に暮らしています。おかげ様で痛みはほぼありません。家の中でさえ杖をついて、痛みに耐えて暮らしていたことが嘘のようです。
それまでは、痛み止めの薬はだんだん効かくなり、夜、寝ている時も、寝返りを打つ時でさえ痛かったのです。今の暮らしは夢のような幸せな日々なのです。
ただ、人工股関節は万能ではありません。神様が与えてくれたもともとの体に比べたら、やはりおもちゃのようなものです。
たとえて言えば、割れたお茶碗を金継ぎでくっつけたようなもの。一見、普通に見えてお茶も飲めますが、ちょっと力を加えたらすぐに壊れてしまします。
私の場合は、普通に歩けるけど走ることはできません。走ろうとすると体のバランスが大きく崩れて、ドタドタともがいているような動きになります。
力仕事も本当はしてはいけません。重いものも持ってはいけません。人工股関節に大きな負担になってしまうからです。
でも実際に暮らしていると、そんなことを言っている場合ではないのです。一見普通の人のように見えるので、電車でも席はゆずってもらえません。一応、ヘルプマークはもらいましたが、わざとこれをつけて日常を送るほど困っていないことも確かなので、家に置きっぱなしです。
半分ぼけた母は、自分の娘が人工股関節だということもすっかり忘れています。
息子はわかっていながら、人手不足なので森川農園の戦力として私を見ています。仕事は、収穫して作業場に運ばれたものを、洗ったり、選別したり、切りそろえたり、発送の準備をしたりの軽作業で、畑にはほとんんど行きませんけどね。
オペをしたのは、千葉県の船橋整形外科病院。プロのスポーツ選手もたくさん訪れる整形外科専門の病院です。ここでオペしてもらったことに本当に感謝しています。今年の春か夏には、たぶん10年検診のお知らせが来て、久しぶりに主治医の老沼先生に会いに行くことになると思います。
そんな快適な毎日を送っているのですが、寒さが厳しかった昨日は、久々に自分でも人工股関節の部分に違和感を覚えました。昨日の秋田県大仙市は、マイナス10度まで下がりました。
そんななか、編み物製図教室のために秋田市まで行きました。生徒さんたちは、みんな元気で新年を迎えたようでうれしかったです。
それで外気で足も冷やされたせいか、太もものあたりがおかしい・・・・・
たぶん、体の中の股関節のチタンが冷やされているのでしょう。ああ、ここが自骨とチタンとのジョイント部分なんだな、という事がわかりました。久しぶりに思いだした感覚でした。
私の体は、フランケンシュタインのお顔のように傷だらけです。
・ 長男を帝王切開で出産
・ 左股関節を自骨でオペ
・ 右股関節を自骨でオペ
・ 両足を人工股関節に
・ 乳がん全摘
よくももぁ、体を切り刻んだもんだわ~~~
それでも、こうして元気に暮らしているということは、神様が
「また痛みもなく動けるようにしてあげるから、少しは人のためになることもしなさい。そして十分に動き回って、人生を楽しみなさい。」と言ってくれていることなのだと思います。
今生の私のミッションは、体を切り刻まれても負けずに生きろ! なのかもしれないです(苦笑)
痛みがない生活に感謝。
自由に自分で動けることに感謝。
私のブログやsnsを読んでくれる人がいることに感謝💓 です。