2018年12月、シニア夫婦でバルセロナに1週間旅行に行ってきました。
ツアーではない個人旅行で、すべて自分たちで計画・予約しました。
今日はピカソ美術館をレポートします。
ピカソの作品を3800点展示
作品は、ピカソがまだ幼少のころから晩年近くまでのものがあり、見ごたえ満点です。
しかし「ゲルニカ」は、現在マドリード市内の国立ソフィア王妃芸術センターに、「泣く女」など有名な作品は、ニューヨーク近代美術館にあるそうです。
ピカソの作風がどう変わっていったのか、日本語の説明オーディオを聞きながら鑑賞できます。絵画など全くわからない私でも、この説明はわかりやすくてよかったです。
ピカソ美術館内部は撮影禁止
ピカソ美術館は、地下鉄4号線のジャウマ・プリメ駅から4~5分です。
旧市街地にあり、古くて味がある建物の間を歩いていきます。
今でも中世の雰囲気が色濃く残っている地域です。
ピカソについて
スペインが生んだ偉大な芸術家パブロ・ピカソ。
ピカソは、1881年にスペインの南の地方のアンダルシアのマラガに生まれました。
その生涯で一万点を超える油絵・デッサンを残し、10万点にも及ぶ版画、その他数百点の彫刻や陶器作品を製作するなど、非常に多作な芸術家としても知られています。
また、キュービズムと呼ばれる芸術動向の創始者とされています。
ピカソが1895年から97年にかけて、多感な10代を過ごしたのがバルセロナです。
ピカソ美術館は、バルセロナのゴシック地区の東に位置するMontcada(モンカダ通り)にあります。13~14世紀に建てられたお金持ちの邸宅5軒を改装し1963年に開館しました。
トンネルのような入口を通って入ります。
ピカソの誕生からバルセロナ時代の年表
1881年 | 10月25日、南スペイン・カラガで絵の教師の子として生まれる。 |
1892年 | ラ・コルーニャにある父の教える美術学校に入学し、美術の基礎を学ぶ。 |
1896年 | バルセロナの美術学校に入学。 |
1897年 | 「科学と慈愛」がマドリードで開かれた国展で佳作を受賞。*ここバルセロナに展示 |
同年 | 「科学と慈愛」がマラガの地方展にて金賞を受賞。 |
同年 | 秋、マドリードのサン・フェルナンド王立アカデミーに入学。のち中退。 |
1899年 | バルセロナに居を構え、絵に専念する。 |
1900年 | 初めてパリを訪問。バルセロナとパリを行き来する。 |
1901~1904年 | 【青の時代】親友カサヘマスの自殺にショックを受け、青く暗い色で売春婦や乞食などを描く。 |
1904年 | パリ・モンマルトルに住みはじめる。 |
このあとは、ほとんどパリで生活したそうです。
ピカソ美術館の特徴
上の画像はピカソ美術館の中庭です。
日本人がイメージするピカソ作品と言えば「ゲルニカ」のようなキュビスムの時代の絵ですよね。
ここバルセロナのピカソ美術館は3800点の展示を誇りはしますが、残念ながらあまりメジャーな作品はありません。
その代わり、あまり知られていないピカソの少年時代の「青の時代」の作品が多くあります。
またバルセロナでの修業時代 → 青の時代 → バラ色の時代 → キュビスムの時代 → 晩年と、年代別に非常にわかりやすく展示されています。
ピカソはADHD(注意欠陥・多動性障害 )だった?
諸説はあるものの、ピカソは実はADHD(注意欠陥・多動性障害 )だったと言われています。
ADHDは症状として、不注意(集中力がない)多動性(じっとしていられない)衝動性(考えずに行動してしまう)の3つの症状がみられるとされます。
また、ピカソは自由な生活スタイルを好み、アトリエの中に画材やさまざまながらくたを置き、さらに犬一匹、シャム猫3匹、サルなど珍しいペットを飼っていました。
さらにピカソはいわゆる「捨てられない」人で、まったく整理整頓ができず部屋は無秩序。小物、ガラクタ、食べ物、服、芸術作品などがうず高く積み上げられていたと言い、それは現在で言うゴミ屋敷状態。
実際、自分でも物がどこにあるかわからず、同居人に大事な手紙や本などを見つけてくれるように頼んだと言われ、彼のズボン服のポケットはに色々な物を中に詰込み過ぎて破れることもしばしばあったそうです。
ピカソは絵のスタイルがころころ変わったことでも有名で、青の時代→ばら色の時代→アフリカ彫刻の時代→セザンヌ的キュビスムの時代→分析的キュビスムの時代→総合的キュビスムの時代→新古典主義の時代→シュルレアリスム→ゲルニカの時代→晩年の時代と、数年単位で変化し続けました。
こうしためまぐるしく変わるテーマ性は、ADHDの症状の一つ「新奇性探究」の特徴と言われています。
簡単にいえば、飽きてしまうと集中できないため一箇所にとどまることはできず、常に新しいことを追い求め冒険し続けないと生きられないからです。
また、ピカソは、一つのことで完璧を目指すより、適当に切り上げて、次々に新しいことに取り組むことのほうが、はるかに得意でした。だからこそ、ピカソは生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家としてギネスブックに記されているのです。
彫刻と陶器の作品がこんなにあったとは知りませんでした。
見学の後は、このピカソ美術館がある旧市街をぶらぶら歩きながら、地下鉄の駅に向かいました。
クリスマスの前だったので、広場にクリスマスツリーが飾られていました。バルセロナのツリーも意外と地味です。
ピカソの壁画が無料で見れる場所。それはカテドラルの前のカフェです 💖
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