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仕事だって遠距離恋愛はうまくいかない!

遠距離恋愛、やっぱりダメでした!

私が秋田に住むことになり、彼は東京に残りました

彼って、実際の人間だったらおばさんの私にしてはちょっとかっこいいけど、人間ではありません (≧∀≦)

彼 = 仕事 でした。

私にとって、東京で事務所を構えて仕事をするって、何にも変えがたい事でした。何としても、手離したくなかった。「 東京で仕事を持っている私 」 というステイタスを失いたくなかった。

だから事務所は、私がいなくても収入になるよう、コワーキングスペースに変えました。でも、コワーキングスペースも思ったようにならなかったのです。

最初は、秋田に3週間、東京に1週間という設定にしました。東京にいる間に、自分の編み物教室をして、用事を済ませ、バタバタと秋田に帰るという生活です。

いったいJR にいくら払ったんだ (笑)

そして東京に帰ってくるたび、自分の事務所なのになんとなくいごこちが悪い。だんだんその違和感は広がっていきました。私のものなのに、実質はスタッフの居場所なのです。

秋田での生活が始まってみると

秋田での生活の最初の頃は、毎朝、起きたらすぐにメールのチェックをしました。東京からの仕事の連絡を見逃したら大変と思っていたのです。メールのチェックが終わって、一通り連絡してから家事をしていました。

そのうち、メールの量が少しずつ減っていきました。たいした用事のメールも来なくなりました。だんだん東京から必要とされなくなっていったのです。

秋田の暮らしは、いつまでという期限はありません。母にあちらの世界からお迎えが来るまでは確実にいます。そのあとは森川農園で必要とされれば秋田に残るけど、もう必要なければ千葉の自宅へ帰ります。要するに先は見えないけど、当分は秋田で暮らします。

住めば都

子どものころは、田舎暮らしがイヤでイヤでたまりませんでした。都会暮らしが最高!! って思っていました。

でも、この年齢になってもう一度住んでみると、秋田には良いことがいっぱいありました。まず、野菜や食べ物がおいしい!! 家は広い。早寝早起きで健康的な生活。夜になると暗い。星が見える。空は青くて空気がいい。歩いている人が、みんなゆっくり歩いている。おっとりしている。

自分でも、秋田の良さが再確認できて「秋田の暮らしも、まんざらでもない」と思い始めました。

東京の暮らしがなくても、私は生きていけるんだ! ということを発見してしまったのです。なくてもなんとかなるんだ、と気づいてしまったのです。あれほど執着していたのに。

もう彼氏にあまり必要とされていなくて、経費ばかりかかる!  となったらサヨナラしかありませんでした。

恋愛でも同じ!

そして、人間の遠距離恋愛も全く同じだろうと想像がつきました。

最初は
・ 離れたら生きて行けないと思う

・ それぞれの場所もそれなりに楽しくなる


・ お互いに知らない情報が増えていく

・ 離れてもいても生きてるじゃん、と気づいてしまう


・ そのうちそれぞれに大事な人ができる

こんな感じですね (≧∀≦)

この年齢になって遠距離恋愛がうまくいかない訳がわかりました。

ps コワーキングスペースがうまくいかなった理由

私がコワーキングスペースに変えた場所は、最初からコワーキングスペースをしたいと思って借りた場所ではありませんでした。なので、すべてが中途半端でした。

・ コワーキングスペースにしては狭すぎる

・ 独立した会議室がどれない

・ 24時間営業はできない

・ おしゃれな空間にするだけの予算がなかった

・ 手芸系の方限定としたので(狭すぎて一般のスタートアップの起業家を集めにくかった)なかなか月額会員が集まらなかった。手芸系の人は儲かっていないので、月額1万円さえ払うことができない人が多かった。

などが考えられます。

はじめからコワーキングスペースをしようと思って始めても、今は続かず閉鎖しているところが多いと聞きます。何事も中途半端な気持ちでは続かないのですね。

ITSUKO: 高齢の母のため秋田県大仙市の実家に移住。元ニットデザイナー。NHKのすてきにハンドメイドに出たり、手芸本に作品を提供していました。実家の森川農園の手伝いもしています。森川農園ではアスパラガス・ダリア・野菜・米をなどを栽培しています。2018年乳がん発症闘病中。両足人工股関節。 カザフスタンの歌手 ディマシュ クダイベルゲン dimash のファンです。 農家めし雪国の自然農のブログも書いています。 コロナウイルスをきっかけに世界情勢に目覚めました。日本大好き。美しい日本を守りたい。参政党を応援しています。 くわしいプロフィールはこちらです。 トップはこちら