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死に至る病 樹木希林さんの死に思う

樹木希林さんが亡くなりました。

個性的な女優さんで、大好きな方でした。
あこがれの女性でした。
わかってはいたけれど、やっぱり乳がんの遠隔転移は死に至る病なのですね。

私も乳がんになり、今年3月に左乳房全摘、5月から抗がん剤、今はホルモン療法中の身、普通のニュースとして聞くにはつらくて苦しいものでした。

Foto-Rabe / Pixabay

がんは最後まで自分らしく生きられる 希林さんの病状から

希林さんはご自身では「全身がん」とおっしゃっていました。
つまりは全身のいろいろな臓器にがんが広がっていたということです。

樹木希林さんの病状
2004年 自分で乳癌に気づいた
2005年1月 右乳房全摘
その後のホルモン治療は1か月で自らやめる
2007年に再発
鹿児島のUMSオンコロジークリニックで放射線治療
2008年ごろ 腸や副腎、脊髄に転移しているのがわかる
転移は13か所に及ぶ
UMSでがんに放射線をピンポイント照射
2018年8月 大腿骨を骨折し手術
9月15日 ご逝去

乳がん発覚から15年、再発からも10年以上。全身がんと公表してからも、テレビや映画で活躍する姿は、私たちの励みになりました。

つい先日までテレビでもお見かけしたし、コメントなども出されていました。最後まで仕事を全うして亡くなったのですね。浅田美代子さんのコメントでも、前日まで会話なさっていたということ、最後まで希林さんらしく旅立ったのでしょう。

鹿児島のUMSオンコロジークリニックは、自由診療なので高額な医療費がかかると聞いています。希林さんは、ここで何度も治療をうけていたということなので、もしかしたら庶民よりは長生きできたのかもしれません。

それにしても、最後までがんとうまくつきあって、がんを受け入れて生きたのだと思います。

私もできることなら、乳がんとうまく付き合いながら、最後まで現役で仕事や家事がしたい。普通の暮らしを最後まで続けたいと思っています。

肺がんで亡くなった父の最後

がんで本当につらいのは、最後の1ヵ月くらいだと推測できます。

私の父も、肺がんで亡くなる最後の1ヵ月間だけは緩和病棟で過ごしました。それまでは、薬で痛みを抑えながら自宅で暮らしていました。

自宅での生活の終わりには、横になっていることが多かったけど、それ以前は庭の手入れをしたり、自宅を修繕したり、遺書を書いて私と妹と母に説明したりと、終活がちゃんとできました。

葬儀に呼ぶ人から、葬儀でのお客様の座る位置まで準備してあり、見事な最後でした。

がんは告知されてから亡くなるまで、ある程度の時間があり、自分の人生を考える時間があるのです。その点ではまだマシな病気と思わなければいけないのです。

乳がんになった人の3分の2は再発も転移もせず、乳がんに罹患しなかった場合と同じように暮らせると病院で言っていました。3分の1は再発転移します。その場合はブログの冒頭でも言ったように死に至る病です。(なかには奇跡的に寛解の状態を保つ人もいるけれど)

私はまだ乳がんで死ぬつもりはぜんぜんありません。できることなら再発・転移は避けたい。でもこればかりは神のみぞ知るです。私の力ではどうすることもできません。その時はもう現実を素直に受け止め、よりよく生き切るにはどうすればいいかを考えるのみです。

carolynabooth / Pixabay

乳がんは30歳~64歳の女性の死因のトップ

今年一年、多くの有名人が乳がんで亡くなりました。

有名ではない普通の人も、1年で15000人近くが乳がんで亡くなっています。

厚生労働省の発表では、2016年の乳ガンによる死亡数は14,013人で年々増えています。女性の30歳から64歳では、乳ガンが死亡原因のトップ。

乳がんを患う日本人女性は、現在、11人に1人と言われ、女性にとっては最も身近な病気になっています。

検診に行こう

なのに、2016年度の国民生活基礎調査でも乳ガン検診率は、36.9% で、OECD(経済協力開発機構)加盟国30ヵ国の中で最低レベルです。

乳ガンはまだ若いから大丈夫ではなく、若いからこそ関心を待つ必要がある病でもあるのです。乳ガンは 30代から増加しはじめ、40歳代後半から50歳代前半にピークを迎えます。そして60歳から65歳に2番目のピークがあります。

検診で早く見つけることが大事です。私も検診をさぼっている間に乳がんになってしまいました。このブログを読んでくださっているみなさん、ぜひ検診に行ってくださいね。

はずかしくて痛いからと敬遠されがちなマンモグラフィです。今、痛くもなく被ばくもしない新しいタイプのものが実用化直前とうことです。一日も早く実用化されればいいですね。

Profile / Pixabay

最後は自分らしく

希林さんは美女ではなく、映画では主役ではないのに、存在感が誰よりもある。こんな個性的な俳優はそうそう出てくるものではありません。

希林さんは、亡くなる前日に自宅に連れて帰ってもらったそうです。亡くなる直前には、夫の内田裕也氏に娘さんたちが電話し、希林さんに声が聞こえるようにしてあげたらしい。内田裕也さんとの夫婦関係も、不思議な関係でしたね。

最後まで仕事を全うし、最後まで自分らしく、家族に看取られて亡くなった希林さんは幸せだったのだと思います。

私もできることならそんな人生を送りたい。

樹木希林さん、どうぞ安らかに。

ご冥福をお祈りいたします。

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ITSUKO: 高齢の母のため秋田県大仙市の実家に移住。元ニットデザイナー。NHKのすてきにハンドメイドに出たり、手芸本に作品を提供していました。実家の森川農園の手伝いもしています。森川農園ではアスパラガス・ダリア・野菜・米をなどを栽培しています。2018年乳がん発症闘病中。両足人工股関節。 カザフスタンの歌手 ディマシュ クダイベルゲン dimash のファンです。 農家めし雪国の自然農のブログも書いています。 コロナウイルスをきっかけに世界情勢に目覚めました。日本大好き。美しい日本を守りたい。参政党を応援しています。 くわしいプロフィールはこちらです。 トップはこちら