あれは10月11日の夜だった。
左胸に違和感が!
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あれは10月11日の夜だった。
いつものように、パソコンでFBを見たりブログを書いたりしていたのだが、ふと左胸に違和感が。「あれっ???」 おそるおそる自分で触ってみたら、はっきりしたしこりが・・・・・
かなり大きい。
これはもしかして ???
赤ん坊におっぱいをあげていた時には、乳腺炎にかかった。生理があった時には、生理前緊張期で胸が張った。でも、私の年齢ではもうそれはありえない。
考えられることは、そう、あの病気しかない。
乳がん
まずい、これはまずい。
この大きさでは、もう転移しているかもしれない。ステージ何だろう? 他の臓器に転移していたらステージⅣで、もう延命治療しかないという。
うわぁぁぁぁぁぁぁ、母を残して先に死ぬわけにはいかない。あの半分ぼけたバアさんを、誰が見てくれる? いないよ(泣)
父の肺がんがわかって実家の秋田と東京を行き来しはじめたのは2013年。それから移住で、健康診断受けてなかった。4年以上うけてないよ、たぶん(泣)
その夜は、動揺してあれこれ考えて寝付けなかった。焼酎をがぶ飲みして、とにかく眠った。
次の朝、普通に起きて朝食の支度をし、普通にご飯を食べ、ダリアの収穫をいつもどおりにこなした。冷静に、冷静に! まだ、病名が決まったわけではないのに、母や息子に心配をかけてはいけない。いつも通りに過ごそう、そう決めた。
でも、頭の中では、今後の対策を考えていた。
ダリアの収穫が終わる1週間後に病院へ行こう!
ダリアの収穫が終わるまではどうにも身動きが取れない。あと1週間でJAへの納品が終わる。そうしたらすぐに病院へ行こう。
その間、乳がんの本や、先進医療の本や、代替療法の本などを取り寄せて読んだり、ネットで調べまくった。
乳がんの場合、普通の病院での治療は、大雑把に言うと、まずみつかったらオペ。癌細胞はとってしまう。そして、抗がん剤や放射線で残ったがん細胞をやっつける、というのがスタンダードな治療方法のようだった。
私の周りでも、乳がんでオペをした人がかなりいて、今はみんな元気にくらしている。だから、そんなに簡単には死なないと思う。
でも、このしこりはかなり大きいよ(涙)
ステージⅣならどうしよう?
最悪のことも想定しておかなければいけない。何年生きられるだろう? いや、直さなくてはいけない。母を残しては死ねない。
読んだ本や、ネットでは、ステージⅣから生還した人達の手記などがたくさんあった。代替医療というものがあって、いろいろな療法があることがわかった。
でもそれは保険がきかないもので、恐ろしく高額だ。私には無理だわ・・・・・。貧乏人は、おとなしく死ぬしかないのかしら?
それでも私にもできそうなことが書いてあった。その要点は、
・ がんは糖質を栄養にして大きくなる。砂糖・炭水化物など、すぐに断つこと
・ がんは低体温で増殖する。体を温める工夫をすること
・ 早寝をして免疫力をつけること
まずはできることをやろう
すぐに玄米を買ってきて、私だけ朝・昼は玄米に。夜はお米は食べないことにした。
お菓子、お酒はやめる(涙)
コーヒーは体を冷やすのでやめる(涙)
紅茶にしょうがパウダーを入れて飲む。これ、体が温まります。
腹巻を買った。生きるためにはカッコなんてかまってられない。
使い捨てカイロをはりまくった。
ダウンのベストに、ダウンのひざ掛け。このひざ掛けはホックで止められるものを買って、スカートのように腰の周りに巻いた。そしてマフラーで首回りを保温。
体温計を買う。ここ何十年、体温なんて計ったことがなかった。体温を毎朝はかったけど、思ったより高くて36度台だった。
とにかく、できることをやろう!
母や息子は、私がダイエットでもしているとでも思ったらしく、特に怪しんでいなかった。
余命宣告されたら、どう生きようか?
あきらめないつもりだけど、もし余命宣告されたら何をしよう・・・・・・・
不思議と思い浮かばない。母を看取る以外に、これと言って思い浮かばない。
欲を言えば、森川農園が日本一のアスパラガス農家になるのを見届けたいなぁ。
普通の日常生活を、いつものように送りたい。その日が一日でも長く続いてほしい。
ああぁ、私はしあわせな毎日を送っているんだな。それにこれと言ってやり残したことがないくらい、思い切り生きてきた。恵まれた人生を歩んできたんだな。
でも、神様、ご先祖様。母より先には死にたくないので、最低母がそちらに行くまでは、私を迎えに来ないでね~~~
そんなことを、毎日、仏壇にお祈りした。
いざ、病院へ!
10月18日、ダリアのJAへの出荷が終わった。
私は、母に「友達のカフェに行ってくる。」 そう言って病院へ行った。
1軒目の大きな病院は、なんと、検査できる日は11月13日まで空いていないという。13日に検査をして、14日にその結果を見ての診察だそう。
いやだよ! こんなおちつかない気持ちのまま、もう1か月も待つの!
そうしたら看護婦さんが 「N病院か、M医院なら、もっと早く検査してもらえると思います。」と教えてくれた。私はその足で急いでN病院へ行った。
N病院は素早かった。なんと、間髪入れずにエコーとマンモグラフィーをとって、先生の診断もすぐに受けられた。
レントゲンをかざして、先生が見ている。じっと考えている・・・・・
「先生、早く言ってよ、心の準備は出来てるつもりです。」と心の中でつぶやいた。
意外な先生の言葉!
「なんか、袋ができていて、その中に多分、水がたまっています。注射器でぬき取ってみますね。たぶんがんではないと思います。」
ん、ん、ん? 袋? 水? まったく考えても見ない言葉が語られました。
そして、太い注射針をブスッと胸に! 抜き取った液体は、最初、黄色かった。
脂肪だ、この色は脂肪だ!!
そのうち血が混じってきて、赤くなってきた。
先生は「たぶんがんではないと思いますが、検査にだします。1週間後にきてください。」ということだった。
ふう~~~、ちょっと、心が軽くなりました。
友人は乳がんの先輩
病院を出て、本当に友達のカフェへ。友達は、実は乳がんの先輩なのだ。今日、起きたことを話しながら昼食。
「大丈夫だよ。先生は、よほど自信がないと『大丈夫と思います』なんて言わないよ。」と言ってくれた。
「乳がんは、そんなに簡単に死なないから!」とはげましてくれた。でもまだ安心はできない。検査結果を聞くまでは!
検査結果は?
そして、本日25日、検査結果を聞きに行きました。
がんではありませんでした。あの脂肪の中にがん細胞はみつからなかったそうです。
でも、触診をして「まだしこりが大きいですね。よっぽど固い袋なんでしょうね? 大丈夫と思いますが生研してみますか? 麻酔をかけて切るほどのことでもないと思うけど・・・・・ まずは経過観察しましょう。」ということになりました。
100% 大丈夫ということはないけれど、いまのところは生きられそうです。
それにしても、脂肪って(苦笑)
明日も生きられるかなんて誰にもわからない
私ももうすぐ還暦。もう若くはない。だけどのんびりしたもので、明日は当たり前にくるものだと信じて疑わなかった。
今回のがん騒動で、明日はこないかもしれないということに、今さらながら気ずかされた。そして、私はどれだけ恵まれた日常を送っているのかも!
毎朝あたりまえに目が覚めて、おいしいごはんが食べられて、寒さがしのげる家で暮らせて、家族がいる。もう、十分にしあわせだ。感謝が足りないな。
今後の展望
まずは、自分の幸せをかみして感謝して生きます。
でもでも、代替医療はむちゃくちゃ高いということがわかりました。がん保険に入っているけど、保険がおりない治療法がたくさんあります。
貧乏人は助からない(爆)
お金を貯めよう。今、とりくんでいる物販、もっと真剣にやって利益をださなくちゃ!!
思わぬ副産物
この2週間あまり、お菓子も食べず、お酒も飲まず、体重がちょっとだけ減りました(笑) 思わぬ副産物です!!
27日に健康診断を予約してあるのだけど、たぶん、肝臓とか中性脂肪の数値とか、良いのではないかと予測してます。
このまま、砂糖はなるべく取らず、コーヒーのがぶ飲みもやめます。お酒もほどほどにします。そして体を温める(笑)
ああぁ、それにしても脂肪が入った袋って(苦笑)
この一連の乳がん騒動を知っているのは、友人のせっちゃんだけです。母も息子も、主人にも言ってなかった。がんとわかったら言うつもりだった。
私ってけなげだよね。心配かけまいと誰にも言わないなんて。無事とわかったら、ちょっと腹がたってきた。何にも知らずにのんきにしているあいつら~~~(怒)
どなかた、わたしのような症状の方いませんか? この袋は自然に溶けるものなんでしょうか? もしそんな人がいたら、アドバイスをください!!