このブログのプロフィールページにも書いていますが、私は4年ほど前までニットデザイナーをしていました。
手編みでセーターや帽子やいろいろなものを編んで、手芸雑誌にのせていただいたり、手編み教室をしていました。多くのクリエーターを集めて展示会をひらいたり、その人達の作品の販売などもやっていました。
母が年老いて、買い物にも病院にも行けなくなり、長女である私は実家へ帰ることになりました。
まだ東京で仕事をしている主人を、ひとり残しての帰郷です。東京へは時々行く程度で、ほとんどを秋田で過ごしています。
その時に、ニットデザイナーはやめました。
秋田では業界の情報も入手しずらいし、売れっ子でもないから、今が引退のしどきだと思いました。
時代はニットウエアの手編みのデザイナーをもう求めてはいませんでした。少なくとも私は求められていませんでした。
その時、多くの道具や本や糸や作品も、売ったりあげたりして処分しました。あまり未練はなかった。なぜなら、苦しい事が多いほろ苦い思い出ばかりだから。
多くの作品の画像も処分してしまったのだけど、少し残っていた作品の画像をのせますね。
今から思うと、よく編んだなぁ! と思います。
でも、こんなの誰が着るの? こんなのおばさんが着て外を歩けないよ! とよく言われました ((´∀`*))ヶラヶラ
ショーウンドーに飾るにはいいかもしれないけど、売るのはむずかしい作品です。
これ、かかった時間を自給にかえ、材料費を計算すると、とんでもない値段になってしまうので、売れるようなものではないのです。
もちろん、こんな作品は手芸雑誌から依頼されたものではありません。手芸雑誌は、それを見て読者が編めないといけないからです。複雑な編み方のものはみんなが編めないし、説明に紙面を割くし、編み図を書くのはむずかしいからです。
・
・
・
自分の好きなものを作るのは趣味、お客さんの好きなものを作るのが仕事です。
手芸雑誌にのせるための作品は、一般の方々が簡単に編めて、身につけられて、しかもおしゃれに見えるもの、という制約がつきます。
しかも多くの場合は、手芸糸メーカーから、この糸を使ってくださいという指定が入ります。
めちゃくちゃ多くの制約の中で、限られた時間で、編み図までしっかり書いて提出しなければなりません。
しかもニットウエアは、もう編む人が少ないので、小物の仕事が多いのです。
もうおわかりですよね?
上の画像のような、超ど派手で現実離れしたものが好きな私にとって、この仕事は苦しいものでした。
でも仕事だから一生懸命にやりました。
そのうちに、私にはこの制限の中での仕事をする能力はないのだとわかってきました。圧倒的に実力がない。
その上、自分のデザインや自分のプロジュースに力を集中すべきなのに、多くのクリエーターを集めて展示会をひらいたり、その人達の作品の販売などもやっていました。
販売や商売では、ここでは書けないようなトラブルにも巻き込まれ、胃が痛む日々もありました。普通の主婦では絶対にできない、素晴らしい? 体験をたくさんしました !(^^)!
そのストレスが乳がんの原因の一つだったと思います。
なのですべてやめてからは、平和な日々が続いていました。
・
・
・
ところが今年の夏、以前、お仕事をくださっていた編集者さんから思いもかけない連絡をいただきました。
過去の作品の中から、セレクションした本を作りたいので、私が編んだ作品を使ってもいいか? という連絡でした。
私が引退して田舎で暮らしているのを知っていての連絡でした。
もちろん「どうぞ、お使いください。私の作品を思い出してくださってありがとうございます。」とお返事しました。
編集者さんからかえってきた返事に「小須田さんの作品は、いつも意外性があって面白かった。一緒に仕事をするのが楽しかったです。」とありました。
涙が出るほどうれしかった!
ああぁ、わかってくださる人もいたんだなって。
その作品集が、きょうから全国の書店に並んでいます。
私の作品は、6ページの「かわり四角のおざぶ」です。
本の中身の画像は、カメラマンさんに著作権があるので、ネット上にのせられません。
店頭で見かけたら手にとって広げてみてくださいね。
もう仕事をやめて何年もたつのに、こんなこともあるんですね!
3流デザイナーの私を思い出してくださって本当にありがとうございました。
久しぶりに、仕事がんばってよかったな、と思いました ♬
トップはこちら