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人は褒められて伸びる 褒められもせず感謝もされないことは悲しい!

いくつになっても子どもは子ども、母が80代で娘がアラカンでもです (笑)

母の母(私の祖母)はみなし子で、労働力としてもらわれた子だそうです。子どもの時にやさしい言葉をかけてもらったことがなく、おこられてばかりで成長したようです。そのせいで母を育てる時にも、やさしい言葉をどういうふうにかけていいのかわからなかったらしい。

その影響なのか、母は私たち姉妹を褒めて育ててはくれなかった。いつも怒っていた。怒っているような口調でしか話さなかった。

しかも、最悪のことを想定して生活する習性を植え付けられた。

母に、良いことを考えて生きるように育てられれば、もっと若い時から広い視野と高い理想をもって生きられただろう。

もう少し褒めて育ててもらいたかった。夢を見て追いかける生活はいいことだという教育だったら、楽しむことは良い事と思って生きてこられただろう。もっと自己肯定感が強く自信に満ちていただろう。

そのことに気が付いたのはもう40歳ちかくになってからだった。
「何でも良い方向に考えよう。その方が楽しいよ!」
「完璧なんて無理。人間は神様ではないんだから完璧にならなくてあたりまえ。」
と生き方を変えた。

親の育て方って、アラカンになっても影響するんだと思う今日この頃。いまさら80数年生きた母の性格を変えるのは不可能だ。でも、もう少し家族を褒めてほしいよ。

はじめての野菜の苗を植えた時のこと。

母はいろいろ教えてはくれるのだけど、「そうじゃない! なにもわからないな(怒)」と、おこってばかり。最初からうまくでいるわけないでしょう。私は農家の子どもだけど、農業を実際にするのは初めてなのよ。

しかも、トラクターで畑を耕してくれたのは息子なのですが「 何回やっても上手に土を耕せない。まったくダメだ。」 と毎回、毎回くりかえす。

自分で耕せないから頼んでやってもらっているんでしょ? 多少、気にいらなくても「ありがとう」じゃないの? と言いかけたけどやめた。ひとこと言えば、10倍になって帰ってくるのが目に見えているので(苦笑)

「人目が悪い=世間体がわるい」 が母の口癖。他人のために自分が大変な思いをするより、多少、手ぬきをしても楽な方がいいと思うのだがそれがイヤらしい。

秋田に帰ると感じるイラッとした気持ち。これは、褒められもせず、認められもしない私の心の不満なのだ。

まじめで、神経質で、ユーモアがわからない母に育てられたので、最初の就職の時には私自身大変だった。手を抜かずに頑張ってしまうので、とうとう今で言うところの「うつ病」になってしまった。疲れたら気分転換することや、よい意味で気を抜くことができなかった。

いろいろ経験して、それなりに大人になって、とうとう母親の老後を見ることなった時には自分もアラカン。なのに何才になっても母にとっては子どもでしかなく、支配する対象なのだ。

親子ってむずかしい。血がつながっていて棄てることができないだけにますますむずかしい。

反面教師として、自分はそうならないように気をつけよう。子どもたちには、自分の好きなように生きなさいと言ってきた。人生は楽しむためにあるのよ。楽しむことは悪なんかじゃない。そして今からもたくさん褒めてあげよう!

私は体が動く限り一人で生きる。もし主人が私より長生きだったら、最後まで2人で生きる。

そのためには、体力よ! 筋肉つけなくちゃいけないのよ(笑) そして好奇心。外に出て人と話すこと。感謝を忘れず感謝の言葉を口に出すこと。

それから、巣鴨の刺抜き地蔵にお祈りして、ぽっくり行くように祈るわぁ(爆) だって息子たちの手を煩わせたくないもん。

疲れきってしまわないように、ストレスが爆発しないように、時々こうして書いて発散します。

今日は愚痴に付き合ってくれてありがとうございました (笑)

ITSUKO: 高齢の母のため秋田県大仙市の実家に移住。元ニットデザイナー。NHKのすてきにハンドメイドに出たり、手芸本に作品を提供していました。実家の森川農園の手伝いもしています。森川農園ではアスパラガス・ダリア・野菜・米をなどを栽培しています。2018年乳がん発症闘病中。両足人工股関節。 カザフスタンの歌手 ディマシュ クダイベルゲン dimash のファンです。 農家めし雪国の自然農のブログも書いています。 コロナウイルスをきっかけに世界情勢に目覚めました。日本大好き。美しい日本を守りたい。参政党を応援しています。 くわしいプロフィールはこちらです。 トップはこちら