魚がいなくなった池で、いつまで釣り糸を垂れているの?

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魚がいなくなった池で、いつまで釣り糸を垂れているの?

2016年の春までは、ニットデザイナーを引退するなんて全然考えていませんでした。

手芸のニットウエアの本はどんどん減っている

私はニット小物のデザインもたくさんしましたが、はじめはニットウエアからのスタートでした。でも手芸本のニットウエアのデザインの仕事は、どんどん量が少なくなっていきました。

ニット小物の仕事ならまだあるかもしれないけど、年齢的にかわいいデザインはできなくなってきました。もともと、ニットウエアより、ニット小物のほうがたくさん仕事が入ると思ってはじめた事でした。嫌いではないけれど、芯から好きか? といったらそれほどでもなかった。

そして中途半端にデザインできちゃうのがいけなかった(笑) なので、仕事がくればそれなりにそつなくデザインして作品をあげてきました。

ニット小物のデザインはもう限界と悟る!

それなりにニット小物の仕事をこなして来た私です。しかし、Ha-Naちゃんの著作本が出たとき、かわいい💓 と思ったけど、もうこの作品を自分で身に着けたいとは思わなかった。

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ニット小物を持つのも、身に着けるのも、若くてかわいい女の子だからいいのです!! ある程度の年齢になれば、それなりのクオリティのものを身に着けないと不自然なのです。雑貨を身につけていたのでは、全然、魅力も貫禄も色気もない、と感じてしまったのです。

この時、もうニット小物のデザインはできない! と悟りました。

それでもニットの仕事をあきらめきれなかった

しかし、ニットの仕事をあきらめきれない私。なので、もう一度ウエアの完成品の販売に挑戦して見たいと思ったのです。要するに、アパレルに近いことをしようと思ったのです。

もう一度というのは、デザイナーとして活動し始めた頃、販売に力を入れた事があったのです。デパートや、セレクトショップや、雑貨店、ギャラリーなどで完成品を販売していました。

rooms や JFW-IFF(JFW インターナショナル・ファッション・フェア)という参加費が何十万もするアパレルの展示会に、仲間と出たこともありました。

でも、アパレルとしてやっていくには、同じ商品を量産しなくてはなりません。とてもすべて手編みでやっていくことはできません。そして、アパレルでやっていくということは、中国製品をはじめとした海外の安い商品と闘って勝たなければ商機はない! と言うことでもあります。

今でさえ、いろいろ知らないことばかり、できないことばかりなのに、10年以上前の私にうまくできるはずもありません。次第に手芸として、教える、手芸本にデザインを提供する、と言う方向になっていきました。

でも、今ならあのころより知恵がついた! 売れすじもあのころよりは見える!! なので、もう一度挑戦してみたいと思ったのでした。今度は、オリジナル糸を作って、オリジナルデザインで編んで、デパートやギァラリーで販売したいと考えたのでした。

材料からオリジナルにこだわろう!

オリジナル糸を作るのならシルクです。シルクについて調べていたら、天蚕という緑色の山繭がある事を知り、それで編んでみたいと思ったのです。その繭は、緑色の宝石のようでした! これで編んだらどんなに素敵だろうと思いました。

それはとれる量がとても少なくて、ほとんど契約している呉服屋さんなどの着物関係や、化粧品会社に収められるようでした。一般にはほとんど流通していません。やっと見つけたら、私が買えるような値段ではありませんでした。

ないなら自分で作ればいいんだ!  と現地まで泊まりがけで数回勉強にもいきました。でもその繭を育てるには、クヌギの木から育てなければいけないのです。しかもセーター1枚編むのに、木が何十本も必要らしい(≧∀≦)

そして木が育ったら、そこに山繭の卵をうつして孵化させ、幼虫を育て繭にするのです。幼虫が鳥に食べられないように木にネットをかけて保護するのです。

字で書けばたいしたことでないように思えるけど、その作業を私一人でやるのはきびしい(≧∀≦)

木が育つまでに数年。 繭から糸を引いて商品として使えるようになるまで数年。私がその前にボケちゃうわ!!

手編みのシルクの製品は売る場所も限られる

そして、シルクの手編みのニットは何十万円もします。そんな高価なものは都会のデパートか、繁盛しているギァラリーでの販売に限られてくる。

デパートでは、もう常連のニット作家がある程度います。その中に入り込む余地はあるのか?  あったとして顧客を作り出すまで何年かかるのか?

どう考えてもアラカンの私には時間が足りない(≧∀≦)

デパートでの販売をメインに活動している先生がいます。その先生は数千万の売り上げがあると言っていました。でもちょっと観察すると、経費も売り上げと同じくらい数千万円かかっているという事がわかる。

そして彼女の生活は、しょっちゅう徹夜のような暮らしでした。アラカンの私には厳しいでしょう。

デパートで販売するだけの枚数を確保するにはたくさんの在庫を編まなければいけないのですが、編んでくれるニッターさんが足りない。1ヶ月に1〜2枚しか編めず、1枚編んでもせいぜい1万円弱、そんな仕事をしてくれる日本人はいない。

海外でニッターさんを探せばいいと思うかもしれませんが、編み物って伝えるのが難しい。現地へ行って、ニッターさんを育成する時間も資金も私にはありません。

要するに、もうのびしろがないのです。苦労することがわかっているのに、あえて挑戦するほど若くないのです。

あなたは魚がいなくなった池で、いつまで釣り糸を垂れているの?

手芸業界とは関係のないある方に、こう言われました。

「 例えればこんな感じだよ。
池がありました。魚は釣り上げられて、もうほとんどいなくなりました。魚が欲しければ、他の池に移るか、養殖するしかありません。

エサを変えたって無理です。だってその池の魚は絶滅したんだから!

池=編み物業界
魚 =お客様 ・生徒さん
釣り人= 私

あなたは魚がいなくなった池で、いつまで釣り糸を垂れているの? 」

魚を養殖して育て上げるには、私は年をとりすぎていました。私の仕事のやり方を見直し、改善したら、少しは今より売り上げも上がる可能性があるけど、私の実力、年齢からするときびしいと判断しました。

そして決定的な事件があり、もう編み物はやめようと決心がつきました。心変わりは一瞬で、二度と元に戻ることはありませんでした。

決心がついたら、あっという間に熱病が覚めた感じです。もう、見方がすべて変わりました。

今は秋田の実家で、森川農園を日本一のアスパラガス農家にすることが夢になりました。

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